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イベントキャリアフォーラム
経営共創基盤CEO 冨山和彦氏が語る「企業価値創造の最前線」2008.02.28
アクシアムでは、2008年2月20日(水)、六本木ヒルズにて、株式会社 経営共創基盤CEOの冨山和彦(とやま かずひこ)氏をお迎えし、『企業価値創造の最前線』と題したキャリアフォーラムを開催いたしました。
元産業再生機構の代表取締役専務兼COOとして不退転の決意で望まれ、ダイエー・カネボウなど数々の企業を再生に導かれた冨山氏に基調講演を行っていただきました。
オープニングスピーチ
◆株式会社アクシアム/代表取締役・キャリアコンサルタント 渡邊光章
皆さんこんにちは。本日は大変多くの方にご参加いただき、まずは御礼申し上げます。じつは今回のイベントには、定員300名のところに660名を越える方からお申し込みを頂戴しました。抽選の結果、約半数の方にご参加いただくことができず申し訳なかったのですが、多くの方が冨山様のお話、企業価値創造というキーワードにご関心をお持ちであることが分かり、嬉しく思っております。
弊社アクシアムも創業から15年が経ちました。1993年から人材紹介業を営んでいるわけですが、現在、毎週のようにCFO、COOといったマネジメントの求人のご依頼を受けています。いかに今の日本に「経営人材」が不足しているか、ということを実感している毎日です。一方で「マネジメント」というものの在り様(ありよう)も随分と変化してきている気がします。
そのような問題意識があり、本日は冨山様にお忙しい時間を割いて、お話いただけるようお願いしました。私が冨山様に初めてお目にかかったのは、1989年。ちょうど冨山様がMBA留学へ向け、準備をされている時期でした。第一印象として「非常にユニークでパワーのある方だな」と感じたのを鮮明に記憶しています。その頃抱いておられた思いを次々と実現化されていくお姿を拝見し、「やはり」との思いも強くしています。
組織・制度を変え、あるいはベンチャーを起こし、社会をより良く変革していく。そうして雇用を自ら生み出せる経営者が足りない(あるいは減っている)…そこをなんとかしたいというのが、私自身の仕事の源泉です。まさに経営の現場で活躍されている冨山様のお話が、皆さん同様、私も楽しみでなりません。
冨山様が最近上梓された本に『会社は頭から腐る―あなたの会社のよりよい未来のために「再生の修羅場からの提言」』(ダイヤモンド社/2007年7月)があります。小さいながらも会社をリードしている”いち経営者”として反省しつつ拝読しましたが、このご本同様、刺激的で示唆に富んだお話が期待できると思います。
第一部 基調講演 企業価値創造の最前線
◆株式会社 経営共創基盤/代表取締役CEO 冨山 和彦氏
本日は『企業価値創造の最前線』という大変なお題を頂いているのですが、理論ばかりお話ししても面白くないと思いますので「企業価値を創っていくとは、どういうことなのか」また「どんな難しさがあるのか」について、現在までの私の実体験などを振り返りながら、お伝えしたいと思っています。
私は大学(東京大学法学部)卒業時の1985年、ボストン コンサルティング グループ(BCG)へ入ったのですが、当時のBCGは誰も知らないマイナーな会社でした。やっとマッキンゼーの大前研一さんの名前が世に出始めた頃で、コンサルティングファームについてビジネスパーソンの間でさえ、ほとんど知られていないという時代でした。
そんな中、BCGを選ぶにあたり、何か華麗なビジョンや予測があったわけではありません。私も時代のご多分に漏れず 、レジャーランド化した大学で日々を過ごす世間知らずの大学生だったのですが、ただ「公務員やサラリーマンにはなりたくない」との思いを持っていました。それらの職業には、自分の価値観や考えをストイックに抑制しなければ偉くなれないイメージがあり、自分の父親の話などを聞いても、どうも楽しそうじゃない。それが嫌だったのです。
そこで法学部に籍をおいていた私は「弁護士はサラリーマンではない」という理由で、司法試験を受けていました。一方で、2回受験をしてみて失敗したら止めよう、とも考えていましたので、同時に就職活動も行っていました。その活動の中でコンサルティング会社というものを知ったのです。そこは何かリベラルな雰囲気を醸し出しており、私の好奇心を大いに刺激しました。そうして受けたファームの中でBCGが私にオファーをくれ、入社することになりました。
経営コンサルタントも、間接的に企業の価値を高める仕事です。それまで勉強していた「法律」は、いわば閉じた世界。基本的には二元論でできており、きれいに割り切れる世界でした。しかし、コンサルタントとして関わったビジネスの世界は違っていました。様々な変数が無限に存在し、そこへ人間が関わり、しかも外へ開いている。その複雑さ・面白さに、当時の私はどんどん興味を深めていきました。
そうしてBCGで数年を過ごし、株式会社コーポレイトディレクションの設立に関わった後、スタンフォード大学のMBAプログラムへ留学するのですが、その動機も好奇心によるものでした。世界中から優秀な人間が集まってくる。何か面白そうだな、と。
このように、これまでの私は、明確なゴールなどを設定して物事を決断してきたわけではありません。その意味では本日のような場で皆さんにお話しするのが恐縮なのですが、ただ、自分自身の価値基準は常にありました。私は、世の中の流行り・廃りがまったく気にならにタイプです。例えば私が「企業再生」の仕事を始めた頃は、「再生」なんて整理屋といわれ、ダーティーで怪しい仕事というイメージでした。しかし、私は自分の価値基準に照らし合わせて「再生」が面白い仕事だと思いました。だから誰が何と言おうと、気にもならずに楽しんで取り組んでいました。
いつも決断の局面において、私は他の誰にも相談しないで決めてきた気がします。好きか、嫌いか。アドレナリンが出るか、出ないかという観点で。産業再生機構の仕事をお受けしたときも、成功する/しないという目論見よりも、やりたい/やりたくないという点で自分に問いかけ、参画する道を選びました。
「教科書的正解」の弊害
日本人のマネジメントにおいて障害となっているのは、無意識のうちに、誰もが納得する「教科書的正解」を探してしまうことだと私は思っています。
本来、経営者は他者に相談してはいけないもの。相談をした相手は、実際に決断を下すTOPではなく、善意であっても無責任な存在です。実際の状況は、TOPになってみなければ分からない。財務的な問題やテクノロジーの問題、MBA的スキームの問題が噴出することもあるでしょう。しかし、実はそれらが本質的な問題ではないことが、経営の現実にはよくあります。
大統領は軍事の専門家である必要はない。けれども最後の決断を下します。国防長官が右だと言ったから、右と決めるのではありません。経営者も同様で、相談できるのは唯一、自分自身だけ。自分で考え、自分だけの答えを出すことが経営というものではないでしょうか。
BCGでコンサルタントとして働いていた時代から、留学して帰国する頃まで、私は「頭が良くて物事を合理的に考えられ、その結論どおりに自分や組織が動けていれば負けないだろう」と考えていました。いわば知性が様々な事柄を制すると思っていたのです。しかし、自分が実際に当事者(経営者)になってみて、意外と知性が導く解に価値がないと知りました。お金を支払ってBCGのようなコンサルティングファーム等に任せれば、きちんと分析し正しいリポートを書いてもらえます。経営の本質は、その先から始まるのだと思います。
ある企業を買うか買わないかを決断する時、最も大切なのがデューデリジェンスです。「事業や経営の悪いところを果たして直せるのか」という視点で調べ、実態を把握しなければいけません。しかしながら、よくある失敗として「値段が安いから」という視点に捕らわれたり、「財務的パフォーマンスの良し悪し」のみで経営陣の経営力を評価してしまったりすることがあります。
いくら安くても、事業・経営の実態が直せないほど悪いものは買ってはいけません。時代の様々な要因で財務パフォーマンスが偶然良くなっている場合もあります。経営者の本当の貢献(経営力)を見抜き、事業や経営の悪いところを直せるのか? と問うてみて答えが「イエス」だったとき、初めてそこから値段云々の検討があるのです。
企業再生・企業投資においては、企業がダメになった原因を徹底的に探ることが重要です。私の経験から申し上げると、日本の会社において現場に致命的な問題がある場合は、ほとんどありませんでした。現場よりむしろ、マネジメント(あるいはマネジメント・システム)に問題があると考えています。
例えば産業再生機構で手がけたカネボウでは、不採算部門である繊維業からの撤退が遅れたことが破綻の原因でした。化粧品という大変好調な事業を持っており、繊維業を切っていれば破綻は免れたかもしれません。当時の役員たちも、撤退の必要を把握していました。では、なぜ役員たちは決断できなかったのでしょうか?
その時の社内に存在した空気を探り、理解することがなければ、再生はできません。繊維業から撤退することは、当時のカネボウにとって従業員の約半分をリストラすること。決断を下さねばならない役員の半数も、切られる立場の繊維部門に所属しています。これまで苦楽を共に頑張ってきた仲間なのですから、切られる側からすれば、理不尽極まりないことでしょう。そんな状況の中、最後の決断を下すのが、まさに経営なのです。
最終の執行のボタンを押す局面で、皆さんは果たして合理的で冷静な判断が下せるでしょうか? それを実行するには、人間的な強さ、それも一人の人間=「個」としての強さが必要になってきます。本来、人間は誰しも弱いものです。しかし、経営者は相対的な意味において、組織や集団の中で最も強く在らねばならないと思います。
それに、経営者には本質的な意味でのコミュニケーション能力も必要です。例に挙げたカネボウのような辛い意思決定を下さなければならない状況下では、必ずといっていいほど権力闘争が起きます。その時、どれだけ味方を作り、政治的に納得を取り付けてまとめていけるかが問われます。
高学歴のいわゆる「エリート」の人たちは、論理性と説得力は正比例する、と無意識に思い込んでいるところがあるように感じます。しかし、現実の厳しい経営の場では、必ずしもそうではありません。論理的というよりも、むしろ情緒的コミュニケーション能力こそ重要になることが多くあります。
このような「闘争」と「説得」と「決断」を、生々しく行うのが経営です。もちろん、大きなビジョンを掲げ、従業員を引っ張っていくのも確かにマネジメントの姿ですが、巷で語られている経営は、少し美しい方に偏りすぎているように私は思います。
日本では、まだまだ現場の人材の能力は高く、強固な基礎構造を保っていると私は考えます。一方、ミドルマネジメントになると、だんだん弱くなってくる。TOPマネジメントになると、もはや国際的には勝ち抜けないレベルではないかと危惧しています。学歴エリート層の脆弱化が目立つ気がしてなりません。
じつは今日、シンガポールへの出張から帰ってきたところなのですが、アジアのエリート達は本当にタフです。激しい国内の競争を勝ち抜き、鍛え上げられています。今の日本人は、以前(特に団塊の世代以前の日本人)に比べて知識やスキルは獲得したかもれませんが、それを本番のビジネスで使い、戦っていく強さが薄れているのではないしょうか。
平和で豊かな時代の中で、他人が用意した正解のある問いを解くことを繰り返す経営。一般解(模範解答)を探し続ける経営…そうではなく、『自分で考え、自分だけの答えを出す経営』が、今まさに必要であると思います。
再生の修羅場からの提言
思うままにお話をしてきましたが、最後に、私が考えるマネジメント・リーダーシップの本質についてお話ししたいと思います。
まず、マネジメントの基本原則は古今東西変わりません。「売上-コスト=利益≧0」。時間的スパンは産業によって違うにしろ(小売業は日毎、電力産業は十年単位など)、これをクリアしないものは潰れていきます。これは、誰も逃れられない経済の冷徹な鉄則であることを覚えていてください。
そして、その売上を作るのもコストを管理するのも”人間”です。人間とは、意思と感情を持った不器用かつ弱い生き物です。そのような一人ひとりの人間が、何を大切にして何を悲しいと考えているのか…その洞察なくして、あるいはそのような人間を説得できる本質的なコミュニケーション能力なくして経営はできません。経済的合理と人間的情理は、得てしてぶつかり合ってしまいます。少なくとも、短期的・表面的には必ずぶつかるものです。その相克を、どう乗り越えていけるか? それが、まさに経営であると思います。ぜひ、マネジメントである(あるいは目指している)皆さんには、合理からも情理からも逃げないでいただきたい。
それから、マネジメントにゴールはありません。不断のPDCAの繰り返しを実行しなければいけません。当り前の事を当り前にやり続ける、追求し続ける事の難しさを、きっと実感すると思います。PDCAを回しつづけることは、うまくいっているものを改善しつづける=自己否定の連続と同じで、非常に苦しい作業ですから。
また、部下がもたらすグッド・ニュースほど、経営者に不必要なものはありません。グッド・ニュースばかりであれば、経営者はすることがありません。人間は弱いですから、グッド・ニュースはできるだけ早く大げさに、バッド・ニュースはできるだけ遅く過小に伝えたくなるものです。そのあたりの人間の機微を理解しつつ、バッド・ニュースを聞いて「俺の出番だ」と喜べる人こそ、マネジメントの資格があるのではないですか?
最後に、誤解を恐れず申し上げると、マネジメントやリーダーは「エリート商売」であると私は思っています。経営を担うものは、様々な権力を持ちます。だからこそ素質、強固な意志、不断の鍛練が必要で、大変な仕事といえるでしょう。経営という仕事は、自分以外の他者の人生を破壊してしまうこともあれば、素晴らしくすることもできます。大きな責任がのしかかると同時に、それだけのやりがいある仕事であることを、皆さんにメッセージしたいと思います。
ぜひ、情と理の衝突に耐え、現実と理念の相克を超えるタフネスと哲学を持ち合わせた、強い経営人材になってください。そのような人材への近道は、ガチンコ勝負での実戦のみ。そのような修羅場こそが、マネジメントを育ててくれます。最後が宣伝のようになってしまいますが、我々、経営共創基盤では、人材をどんどんと実戦の場へ送り込み、素晴らしいマネジメントとして育てていく方針をとっています。そのような修羅場を望まれる方は、ぜひ我々の門を叩いていただければと思います。
第二部 対談
経営人材不足の実態
渡邊:冨山さん、素晴らしいお話をありがとうございました。会場の中にも、冨山さんのご著書を既に読まれた方が多いと思いますが、本日のお話を聴いて私自身、さらにお書きになっていた内容を深く理解できた気がします。
さて、皆さんの中でマネジメント・取締役経験者の方は、どのくらいおられますか? 挙手をお願いします。(十数名の方が挙手)たくさんおられますね。マネジメントを目指したいという方は?(半数以上の方が挙手)これは本当に嬉しいかぎりです。では、冨山さんのお話にもあった「修羅場」を経験したいと希望される方は?(数十名の方が挙手)こちらも多くの手が挙がりましたね。頼もしく、嬉しく思います。
第二部では、冨山さんと私とで対談をさせていただくつもりでしたが、お時間も押しておりますので会場の皆さんからの質問を優先させたいと思います。時間のある限りお受けしますので、どうぞ。
Q.「修羅場希望」で手を挙げさせて頂いた者です。冨山様ご自身の一番辛かった「修羅場」(死ぬんじゃないか、と思ってしまうような)のご経験と、そこで踏ん張り続けられたモチベーションについて、お教えください。
冨山:死ぬんじゃないか、という「修羅場」ですか…何をもって”死”とするかによりますが、社会人としての”死”なら、意識したこともありました。産業再生機構に参画するときの腹決めとして私が持っていたのは、何らかの圧力があったとしてもブレーキは決して踏まない、ということ。「たとえ地位をすべて失ったとしても、家族を食べさせていけるぐらいはできる」という自負があり、社会人としての”死”をむかえても、それはそれでしょうがない、と割り切っていました。それを怖れて、ブレーキを踏むことは決してすまいと。
社会的評価が重要なのか、自分の信念を通すことが重要なのか、あるいは他の何かが重要なのか。厳しいときには「自分にとって何が一番大切か」=人生哲学が判断基準となり、人を支えるのだと思います。その意味では、産業再生機構の組織の中で相対的に私は強く(それなりに経験も積んでいたので)自分の軸がぶれることはありませんでした。しかし、まだ発展途上の若いスタッフたちが悩み、揺れるのを見るのが、自分のこと以上に辛かったですね。
渡邊:今のご質問を受けてさらにお伺いしたいのですが、冨山さんにとっての最初の「修羅場」は、いつですか?
冨山:1992年から1993年頃、自分の会社(株式会社コーポレイトディレクション)が潰れそうになったときでしょうか…MBA留学から戻ってみると、売上が半分になっていて従業員への給料が払えなくなりそうで。金策に奔走しました。リストラを断行しようにも、退職金というものは現金一括払いなんですね。そのキャッシュフローがまわらない。MBAで学んだフロー表を月次ではなく日繰りで作りました。
そして銀行にお金を借りに行っては断られ、最後は懇意の取引先にまでお願いに行きました。企業はなかなか融資という形が難しいので、結局は投資の形でお金を出してもらい、しのいだことがありました。このとき、銀行の対応の実態を肌身で感じましたし、企業が融資の稟議を通すときの困難さも知りました。今思えば、とても貴重な体験だったと思います。やはり失敗からの発見・学びは大きいですね。
それから、リストラをして社員を約半分にしなければなりませんでしたし、残った社員の給料を半分にさせてもらう決断もしました。もちろん辞めて競合他社へ移っていく人間もおり悩みもしましたが、幸いなことに私は、ピンチになるとアドレナリンが放出されるタイプなんです。途中からは「悪意をもって行動している人間は、いない。人生は様々で、みな色々な事情(金銭的な面も含めて)を背負っている。そんな事情ならしょうがない」と割り切って、不謹慎かもしれませんが、人間観察を楽しみながら事態を受け止めることができました。ある種、とても充実した日々でしたね。
Q.ご講演の中で、冨山様はマネジメントを育てるための答えとして「修羅場」ということをおっしゃっておられました。一方、日本人の多くは、MBAのような「知識のスタンプ」を求める傾向が強いように思います。そんなリーダー候補の人材に、「知識のスタンプ」と「修羅場」の双方を提供しながら、育成できる方法論などありましたら、ご教示ください。
冨山:MBA的なプログラムの知識は、ないよりはあった方がいいと思います。けれど、あったからといってどうにかなるものでもありません。大変な「修羅場」へ行ったときに、人の成長にとってより重要なのは、いいメンターを持つことだと思います。
いい師匠がいれば、どんな知識が足りないのか、あるいは知識以外に不足しているものが何なのか、アドバイスしてもらうことができます。若くて目から鼻へ抜けるような優秀な人の場合、得てして、齢を重ねることや結婚して子供を持つことが仕事に深みを与えることが多いように思います。そんな助言は先輩ならではのものです。
何かシステムを整備するというよりも、身近に良いメンターをつけてあげることの方が、効率的な成長につながると思います。
渡邊:良いメンターとの出会いは、本当に人生を変えてしまいますよね。私のように求人・求職に関わる仕事をしていると、良いメンターとの出会いをお手伝いしているような気がします。ビッグネームだからといって、自分にとって良いメンターとは限りません。相性というものも重要ですよね。冨山さんが有名だからではなく、冨山さんが好きか、嫌いか。価値観が合うか、合わないか。そこを見極めるには、相手のことはもちろん、自分自身のこともよく理解しておく必要があると思います。
冨山:分かっているようでいて、誰しも意外と自分のことを分かっていません。本当に何が好きなのか。何を大切に考えているのか。日々の中では、なかなか気付かないものです。ですが面白いことに「修羅場」に行くと、これがよく分かる。本当ですよ。よく「自分探し」などと言いますが、いくらインターネットを開いてみても、本当の自分など永遠に見つからない。シビアな場面でこそ分かる。だから、ぜひ「修羅場」へ行きなさい。私はそう思います。
Q.企業投資の際、その企業のマネジメント陣のどのような点を見ておられるのですか? また、必ず質問されることなどありますか?
冨山:必ず聞くことなどは特にないのですが…2つのポイントでは見ています。まずは、ピンとくるか、こないか(笑)。人間として好きか嫌いかと言い換えられるかもしれません。大変曖昧な基準で申し訳ないのですが、人間として大事にしているものは何か? という価値観は、結構重要だと思います。間違っているとか悪いとかではなく、価値観が互いに合わなければ疲れてしまいますよね。長く付き合うことができず、結局離れていってしまうことになると思います。
それから、その人の特徴・特性・役柄をプロデューサーのような視点で見ている場合が多いですね。「経営」は、幸か不幸かオペラのような総合芸術に近い世界。再現芸術ではありません。毎回、脚本を書くところから始まり、歌手・伴奏・裏方など、様々な役割の人間が登場して全体を形作ります。ゆえに「経営」「経営者」に決まった形などなくていい。私は、絶対軸でそれらを評価するのが好きではありません。経歴も一人ひとり固有。人生も固有。だから百人百様の表現でいい。そこが「経営」という仕事の面白いところなのです。
まとめると、プロデューサーであるはずの自分自身の癖や、自分との相性も意識しながら、その人を理解し、今の役柄が合っているのか、どの役柄のほうがぴったりくるのかと考えて見ています。
渡邊:例えば私たちに依頼される社長求人の場合でも、求められる資質・能力は本当に様々です。ファイナンスに強い人、営業力がある人、戦略に長けた人など色々なタイプの方が必要です。強み・特徴を持っていると、マネジメント人材としても強いですよね。
さて、お時間も迫ってきましたので、最後に私から質問をしたいのですが、冨山さん率いる経営共創基盤で人材がほしいとなった場合、どんな方が必要ですか? 20代の方であれば、先程からお話があるように、どんどん「修羅場」へ出て行って力をつけてもらうということだろうと思いますが。例えば、ある程度経験を積んだ30代の方の場合はどうでしょう?
冨山:とりわけ必要な能力があるわけではありませんが、30代であれば、何かひとつ「取り柄」があるといいですね。それは、MBAの知識があるとかバリュエーションができるとかいうことでなくてもいい。それに関して、つくづく「経営」って面白い、と感じたエピソードがあるのでご紹介します。
再生を支援するある日系企業へスタッフを送り込んだときのこと。送り込んだスタッフの中に、特に突出したスキルはないけれど、いわゆる日本人として絵に描いたような「いいヤツ」というキャラクターの人間がいました。周りにはプロフェッショナルなスタッフもいます。しかし、この案件で一番活躍したのは実は彼でした。
この会社は、極めて旧来型の日本式経営の風土を持っており、重要なインフォメーションや話し合いは”喫煙部屋”と”赤提灯”でなされる体質。彼は、酒もタバコも嗜むのに加えて、人が心を許してしまう「いいヤツ」というキャラクター。彼は見事に、私が一番欲しい情報を集めてきてくれました。
このように「経営」には様々な役回りがありますので、何らか「取り柄」を持っていてほしいと思います。
参加者の声
フォーラム終了後、参加者の皆さんにアンケートをお書きいただきました。 その中から、フォーラムの感想を一部ご紹介いたします。
- ご著書『会社は頭から腐る』の内容が深掘りできました。(20代・男性)
- 自分が感じていた「大企業の良くないところ」を非常に明確に冨山氏がおっしゃっていて、共感しました。しかし、自分でモノを考えることを忘れないようにします。(20代・女性)
- 冨山氏のお話に非常にショックを受けると共に、力不足を感じつつ、修行に備える覚悟ができました。(30代・男性)
- 2時間が、あっというまでした。本当に面白かった!(30代・男性)
- 経営人材に必要となる心構えが良く分かりました。(30代・男性)
- 冨山氏のリアリティのあるお話に魅かれました。(30代・男性)
- 「経営人材」という言葉の意味や定義について、改めて考えたいと思いました。(30代・男性)
- 非常に人間臭い内容と、ロジカルな内容とが両方あり、良かったです。(30代・男性)
- 反省すべき点が多く、また、今後に活かせるヒントを多く得ることができました。(30代・男性)
- 修羅場を経験したいと思いました。(30代・男性)
- マネジメントに求められる資質について、経験談を基にしたお話は、とてもうなずけるもので共鳴しました。(30代・男性)
- 企業再生の現場の厳しさ、生々しさが伝わってきて、大変興味深く拝聴しました。(30代・女性)
- 冨山氏の仕事に対する姿勢、考え方がとても参考になりました。(30代・女性)
- 実際に経営再建の現場にいるのですが、苦労の連続です。視点を変える場として非常に良かったです。(40代・男性)
- サラリーマン的な視点から、経営者的な視点を持つきっかけになりました。(40代・男性)
- 素晴らしいお話でした。意思決定をする立場の者として、身につまされる内容でした。(40代・男性)
- 現場でのご経験に裏打ちされたお話が豊富で、実用的な内容でした。(40代・男性)
- 改めて、マネジメント人材層の脆弱化は日本の大きな課題であると認識しました。(50代・男性)
- 格好をつけずに本音でご自身の経験・考えを話される冨山氏の姿勢に感動し、また、励まされました(50代・女性)
アンケートにご協力いただき、ありがとうございました。 いただいたご意見・ご感想は、今後のイベント運営に活用させていただきます。 アクシアム一同
講演者/パネリスト 略歴
冨山和彦(とやま かずひこ)氏 プロフィール
東京大学法学部卒。在学中に司法試験に合格。
スタンフォード大学にて経営学修士及び公共経営課程修了。
【職歴】
株式会社ボストンコンサルティンググループを経て、国内初の独立系経営戦略コンサルティング会社である株式会社コーポレイトディレクションの設立に携わる。2001年、同社の代表取締役就任。2003年4月から2007年3月にかけ、株式会社産業再生機構代表取締役専務(COO)を務める。幅広い産業分野での戦略立案やその実行支援経験のほか、旧日本リースなど大規模な破綻企業の再生からアキヤマ印刷機械といった中堅メーカーの再生支援まで、事業再生にも手腕を発揮する。2007年4月、株式会社経営共創基盤を設立。現在、郵政民営化委員会委員、経済財政諮問会議資産債務改革実行等専門調査会委員も務める。
渡邊 光章(わたなべ みつあき)プロフィール
お問い合わせ
本イベントについてのお問い合わせは、下記連絡先までお願いいたします。
株式会社アクシアム イベント事務局
Email:event@axiom.co.jp