転職コラムコンサルティングの現場から

メールマガジンに連載させていただいたコラムのバックナンバーです。
転職市場、そしてキャリアコンサルティングの現場で起こる日々の出来事から、成功へのヒントを感じていただければ幸いです。

コンサルティングの現場から 第10回 
2005.11.17

ウチの会社

最近、また、「会社は誰のものか?」という議論がされるようになりました。

マスコミで取り上げられるM&Aに関する話題が増える中、「会社は株主のもの」という論調が多いように感じます。しかし、従業員として働く方々(われわれ)の意識は必ずしもそうではないようにも思います。その深い議論は専門家に任せるとして、今回は『日本人にとって会社とはなにか』ということについて少し考えてみたいと思います。

よく、「ウチの会社」という表現が使われます。ここで「ウチの」という表現は当然「私の」という所有の意味ではなく「『公』の要素を持った共同体の」というニュアンスを含んでいると思われます。

欧米人にはこの「ウチの」という意識は弱いらしく、My JobやCareerという概念が一般的なようです。しかし日本人の場合、かなり変化してきたと思われるものの、「会社は株主のもの」という議論がなされる今日においてなお「ウチの会社」という意識は本質的に変わっていないのではと感じます。

司馬遼太郎さんが文藝春秋に掲載されていたコラム『この国のかたち』の中で、「会社的“公”」という題目で書かれている文章があります。(1989年頃のものです。単行本として編集された第二巻に収録されています。)

そこでは「日本人は会社に入って働き出すと、そこに“公”を感じるところがあり、またそうした風潮が好きである」というような話が書かれていて、日本人が会社に“公”を感じる様子を「古代ギリシャ人が都市に“公”を感じたり、明治人が国家に“公”を感じたように」と表現されています。また、昭和30年代の住友の社員にまつわる話などが取り上げられていて、たいへん面白い内容です。

この“公”の意識が「人材への長期コミットによりもたらされる日本的経営の強み」を下支えしているのは明らかです。日本人のベースにある「滅私奉公」を美徳とする意識と合わさり、今日までの日本企業の成長が実現したのだろうと感じます。

しかし、今、この“公”の意識が崩壊しつつあります。

転職される方を見ても、「法人に参加している・参加する」という意識から「社長(経営者)という自然人に雇われている」という意識に変化しています。キャリア開発の観点からすると、「就社」的意識からの脱却ともいえるこの変化は良いことだと思うのですが、一方で日本的経営の強みが失われてしまうようで歯がゆく感じることもあります。会社が長期雇用を保証してくれなくなってきている昨今、仕方がないのかもしれませんが。

ただ、やはり会社には「公」的要素が必要ですし、少なくとも日本人がやりがいを持って働くには重要であるとも思います。会社のミッションは?社会的意義はあるか?社員は一緒に仕事をしたいと思う方々か?この経営者に共感できるか?など……。

これらは転職を考える際にも、とても重要な要素です。特にベンチャー企業への転職では「参加している・参加する」という意識は不可欠でしょう。単に仕事が面白いとか、条件がいいというだけではなく、“公”のある会社かどうかが重要なようです。

さて、皆さんは会社に“公”を感じますか?