転職コラム転職市場の明日をよめ

アクシアム代表/エグゼクティブ・コンサルタントの渡邊光章が、日々感じる転職市場の潮流を独自の視点で分析しお伝えします。(※不定期更新)

2010年10月~12月 
2010.10.07

新卒採用から始まる年功序列への問題提起

2010年も残り3ヶ月となりました。長く続いた猛暑の夏、熱帯を思わせる大雨…地球環境の変化は我々の社会に警鐘を鳴らしているかのようです。雇用が大事と言いながらも雇用を生み出す議論はまだまだ不足していますし、仕組みづくりも見当たりません。

他方、人々の生活に目を向ければ、明るさを失わない人々も存在していることに気づきます。例えば地方の農村や漁村では、苦しいながらも知恵を絞り、新しい制度を活用し、都会の若者が魅力を感じるような新しい試みを行ったり観光地の再開発などをすすめたりと、これまでとは違った動きが感じられます。都会と地方、日本と諸外国、会社と個人、中央行政と地方行政、それぞれのかたまりや共同体において、そのあり方が大きく変わってきていることを感じているのは、筆者だけではないでしょう。

さて、なかなか進まない雇用問題への対策ですが、雇用を生み出すことを困難にしている原因とは、あるいは雇用問題の前に立ちはだかる壁は何かを考えてみると、やはり経済不況がその根源にあると筆者は考えます。雇用が悪化するから経済が悪化するのではありません。

よって、雇用問題の対策を考えるにあたっては、まずなにより経済発展を促進する政策や制度の実行を優先すべきと思います。景気回復こそが雇用の破壊をとめ、新たな雇用を生み出すために必要不可欠なことと筆者は考えます。

 

ただ、ほかにも考えるべき見えない壁が存在しています。雇用に関する「悪しき慣習」と「教育」です。

 

「教育」についてはまた別の機会にお話するとして、今回は、「大企業の新卒尊重主義」と「年功序列」という悪しき習慣について考えたいと思います。

この二つ悪しき習慣の改革にはお金はかからないものであるはずなのに、それが一向に進まないのは、この慣習が企業にとって生産的だと信じ込んでいる人が多いからでしょうか。いみじくも、9月にTwitter(http://twitter.com/)上で茂木健一郎氏(@kenichiromogi)が、新卒一括採用の愚について、新卒一括採用している企業は認めないとほぼ断罪していました。多数の異論も出てきていましたが、もう少し議論してゆくべき価値はあるでしょう。

私も、日本ほど新卒社員を重視して、また若者もその親もそこに問題意識をもたず、まるで普遍的価値をもつもののように守っている国は他にはないように思います。「日本は日本だ。海外とは違う。日本にはこれが一番適している。」という異論がすぐに出てきますが、果たしてほんとにそうでしょうか?

確かに今までの戦後の高度経済成長の中では、新卒を採用し、プロパー社員として育て、自社の価値観や共通言語を話せる人材だけで団結させれば結果的にコストも安く統制が取れます。人材流出もさせずに済むため、効率的だったと言えるでしょう。また、そのほうが企業経営も簡単です。

ただ、いわゆる安定成長期の経営として、一定の流れにそって全体を効率的に動かすことだけを考えるのでよければそれでよいのでしょうが、産業や会社がこれだけ激しい変化にさらされる場合、同じことを効率的に行うこと以上に「変化」や「革新」が求められます。すると当然、ワンパターンの人材で組織を構成するのではなく、価値観の異なった人材、異なるスキルを持った人材が求められるようになります。そうした人材をいかに社内で育てるか、あるいは変化にしたがって外部から調達するかが課題となるわけです。

もし、それでも新卒採用を大事にしたいのであれば、一括採用という安易な方法ではなく、本質的な「人材を見抜く方法論」をもっと模索すべきです。幸いにも、この試みは開始されているように思われます。ユニークな採用方法など、この10年で導入され始めていると思われます。

しかしそれでも、スタッフレベルだけではなく、マネジャーあるいはマネジメントレベルであっても、外部人材を必要に応じて迎え入れられるようにしなくては変化に対応できず、会社の継続が難しくなるという時代が到来しています。さらには、企業のグローバル化がますます進み、日本人以外の外国人を採用し、幹部としてどんどん登用するという「人材の国際化」もすでに始まっています。新卒を採用し育てることは大事ですが、いずれにせよそれだけではこれからの変化の激しい社会に対応できなくなっているのは確かなのです。

こうした変化の時代にあっては、人材の獲得を新卒採用にのみ依存する企業では結果的に組織の成長や拡大も止まってしまうことでしょう。そして、おのずと部長や役員クラスへの昇進=成長の機会が限られてしまい、優秀な若者はそんな停滞した組織に嫌気をさして去ってゆくことになるでしょう。

 

ただ、そうはいっても大企業が簡単に新卒採用を廃止したり、あるいは中途採用重視に切り替えたりするのは容易ではないでしょう。この5-10年、こうした新卒採用の是非の議論は幾度か起こり、また優秀な人材の流出も起き始めていて各社対策をしているのですが、抜本的なところで新卒採用重視からの脱却はできていません。もし、個人(被雇用者側)が新卒尊重主義を否定し変えようとするなら、大学時代から勉強はもちろん、インターンも経験し、しっかりしたキャリアの考え方を身につけて新卒採用で入社し、「内部で昇進して経営者になって、自ら堂々と新卒採用を廃止する」くらいの気概がいるかもしれません。残念ながら、優秀な人材が会社嫌気をさして辞めてしまったというだけでは、そこまでの変革は起きなかったと言えます。

個人(被雇用者側)と企業(雇用者)のどちらが先にこの壁を破るべきか、という議論をしたいのではありません。重要なのは、個人(被雇用者)も企業(雇用者)も同時に意識変革を進めることと考えます。

それには、いっそのこと若手の採用はすべて通年採用に変えてしまったらどうかとも思います。

特に、経験3年未満の人材の採用は、新卒も経験者も「ポテンシャル重視」の採用であることにそう変わりはありません。新卒もキャリア採用も混ぜて審査してみたほうが採用活動を一本化できるし、学生もいつでも応募ができるメリットがあり、さらには第二新卒なども含めたキャリア組にとってもより選択が容易になるなど、メリットが大きいように思います。

新卒でもインターンを経験している学生なら、中途半端な職歴3年未満の人材よりよほど意欲的で優秀というケースも多々見受けますから、採用側にとっても案外よい人材の確保がしやすくなるのではないでしょうか。

もう一つ、「年功的人事」についても少し考えてみたいと思います。

「年功序列はアジア文化圏、儒教的な文化圏だから仕方ない」といわれることがあります。確かに、この年功序列のカルチャーに基づく人事制度は儒教的な文化によるところも大きいと思いますが、年功的人事制度=職能資格等級制度自体は戦後に広まった制度であり、それまでの日本企業では、必ずしも年功的な人事や処遇ばかりではありませんでした。むしろ現代の欧米的実力主義に近い会社も多かったようです。つまり、年功序列は文化と深く根付いているが、年功的人事制度は必ずしも儒教文化圏だからということではなく、歴史的、社会的、経済的発展の中で戦後に作られただけ、と言えます。

たまたま戦後の日本の製造業の急成長において、「経験年数の多さ=能力の高さ」という職人的世界観が企業の成長を支える制度とマッチして定着しましたが、時代が変わり、もはや「経験年数の多さ=能力の高さ」という考え方が通用しなくなった今、あらためて、年功序列が生み出すメリットとデメリットをしっかり考え直したほうが良いでしょう。

もっとしっかり考察すべきことだと思いますが、紙面もかぎられていますし敢えて独断的に申しますと、「そろそろ、本格的に年功的人事制度や評価体系から脱するべき時期だ」と考えます。

雇用を考えるにあたり年齢を基準にしていては、会社も個人も立ち行かなくなっていると思うからであり、またそのポジションの責務を果たすことができれば年齢は関係ないと、シンプルに思えるからです。

社長が、37歳で部長が55歳でも問題ないし、スタッフが40歳でマネジャーが30歳でも問題ないのです。仕事を果たせる職能や経験があるかどうか、コストに見合った仕事ができるかどうかが重要ということです。

筆者はそのように思うのですが、日本企業の人事や経営陣は、その様な年齢的逆転現象をどうしても嫌うようです。例えば、35歳以上の人材の採用をスタッフクラスで採用することをためらう理由について次のように説明します。

  • 年配者はITリテラシーが低い
  • 変化に対応していない
  • 柔軟性にかける
  • 固定概念が強い
  • 成長のために不可欠な熱意が若者と比べ少ない
  • コスト(年収)が高い

同時に、若手が望ましい理由については次のように説明されます。

  • ベンチャーなので、会社の成長と自分成長を重ねて考えられる意欲をもった若手が望ましい
  • 向上心をもっている若者が良い
  • 仕事100%で対応してもらうには若者の体力がいる

いかがでしょうか?

このコメントは若者を求める正当な理由になっているように思われますが、35歳以上でもITリテラシーが高く、柔軟性があり、意欲も向上心もある方は多数いるのでないでしょうか?
時にコストが問題になることは確かにあります。ただ、40歳の方が20代のコストでも結構ですと言ったとしても、若者にチャンスが奪われます。同じコストなら年齢を理由に(上記のような理由を挙げへつらい)、本当にそうか合理的な判断をせぬまま若者が採用されるというのが実態です。

そこに問題があるのです。

もちろん、逆のパターンもあります。

役員クラスのポジションに、同じ能力を持つと思われる30歳と45歳の候補者が上がった場合、30歳では経験年数が不足しているという理由だけで45歳が選ばれることが多々あります。

実際には、30歳でも大手企業の45歳の部長職の方より経営者としての資質や能力に優れているというような方は多くいらっしゃいます。しかし、それをしっかりと選考せず、合理的判断をしないまま年功序列的カルチャーを守るため、年齢とポストの逆転現象を避けるために年齢で排除してしまうのは、本当に残念なことです。

あるいは、日本の大手企業が35歳以上の人材を即戦力の課長クラスや部長クラス、ましてや役員クラスで採用することがほとんどないことも、実は同じ背景があるように思います。
年齢が会社への在籍年数に置き換えられ、(自社の)マネジメントには「在籍年数が長い=会社に多く貢献してきた=能力が高い」人でないと務まらない、という理屈が作られます。
確かにそういう側面もあるとは思いますが、自社で長年貢献してきた人を押しのけて外部から人材を登用するということが年功序列の精神に反するので、感情的に受け入れられないというのが実態でしょう。

 

ポイントは、合理的な正当な判断かどうか、という点にあるように思います。

同じ能力、コストなら若者でもシニアでも等しく採用するようになれば、それは即ち合理的な判断をしっかりとするということにほかならず、そうした採用がされるようになるということは、組織の中で、より合理的な議論や仕事の進め方ができるようになることにつながると考えます。結果的にそうした企業は業績を伸ばすはずです。

逆に年功序列で指揮命令系統を統括している企業は、これから先、社内での合理的な議論の機会がどんどん失われていくと考えたほうがよく、それが見えない組織の疲弊を生み、根底から弱体化させている原因となっている可能性があることに気づいたほうが良いと思われます。

破綻してゆく企業の多くは、中間管理職を含めた社員がみな経営者の意向に順々に従うばかりで考えることをとめてしまい、考える力やリスクをとることをどんどん忘れてしまっているように思います。そんな会社が、経済環境の変化に対応できず破綻していっているのではないでしょうか。

壁は見ることも触ることもできませんが、今、日本では過去になかったほど壁にぶつかってしまう人が多くなってきていることを感じます。この壁は自然に破られるものでも、ベルリンの壁のように急に無くなるものでもありません。個々人が考え、選択し、判断することではじめて無くすことができるものです。誰も気づかない間は、壁は姿をみせず存在したまま。

しかし、壁に当たった人が多くなった今、その姿を議論することができるようになってきました。

景気の回復がなかなか確かなものとならない今、より多くの企業が業績を回復させ、多くの雇用が作られるようにするためにも、今こそ年功的人事や新卒採用尊重主義(一括採用)の壁を崩してゆくべく本質的な議論を始めるべきだと思います。

コンサルタント

渡邊 光章

株式会社アクシアム 
代表取締役社長/エグゼクティブ・コンサルタント

渡邊 光章

留学カウンセラーを経て、エグゼクティブサーチのコンサルタントとなる。1993年に株式会社アクシアムを創業。MBAホルダーなどハイエンドの人材に関するキャリアコンサルティングを得意とする。社会的使命感と倫理観を備えた人材育成を支援する活動に力を入れ、大学生のインターンシップ、キャリア開発をテーマにした講演活動など多数。
大阪府立大学農学部生物コース卒、コーネル大学 Human Resource修了
1997年~1999年、民営人材紹介事業協議会理事
1998年~2002年、在日米国商工会議所(ACCJ)人的資源マネージメント委員会副委員長
著書『転職しかできない人展職までできる人』(日経人材情報)