サービス案内“展”職成功者インタビュー

安井 元康

株式会社MCJ 社長 兼 最高経営執行責任者(COO)

安井 元康 氏

今の場所で“やりきった”自負をもって、
次のステージへ。
だから怖れず、チャレンジができる

マウスコンピューターをはじめ、IT関連機器の製造・販売等を手掛ける12の企業を傘下に持つ、株式会社MCJ。2017年4月、その社長 兼 最高経営執行責任者(COO)に、安井元康氏がご就任されました。

安井氏とアクシアムのご縁は2005年。安井氏のMBAご留学時にキャリア相談をお受けしたのが始まりです。その後、ご卒業後のキャリアとして株式会社 経営共創基盤 様をご紹介。ご入社後は約10年にわたって同社で手腕を発揮され、最年少でディレクター、さらにプリンシパルにまで昇進されました。その間、アクシアムの2つのイベント(※キャリアフォーラムCareer Talk Live)にもご登壇いただき、自らのキャリアについて語っていただいたこともありました。

 

今回、安井様のトップマネジメントへのご就任に際し、2005年当初からの担当コンサルタンントである渡邊光章が改めてインタビュー。安井様のこれまでのキャリアの足跡やキャリア構築のポイント、今後の展望などをざっくばらんに語っていただきました。

「MBA留学」は、キャリア上の既定路線だった

渡邊

ご無沙汰しております。この4月に社長にご就任されたとのこと。おめでとうございます。何だが自分のことのように、本当に嬉しいです。3冊のご著書(※)の中で、既にご自身のキャリアについて様々な角度から語っておられますが、本日は改めて安井様のキャリアについてお話を伺い、キャリア構築の核となっている考え方を探りたいと思っています。どうぞ宜しくお願いします。

※『非学歴エリート』 『下剋上転職』 『99・9%の人間関係はいらない-「孤独力」を磨けば、キャリアは拓ける

安井氏

ありがとうございます。こちらこそ、宜しくお願いします。

渡邊

安井様に初めてお会いしたのは、たしか一度目にMCJ様に在籍されていた2005年。将来のキャリア、MBA留学、MBA取得後のキャリアについてご相談をお受けしましたね。その頃から明確に「経営のプロ」を目指しておられたのが印象的でした。安井様ご自身は、MBA留学前と留学後で、キャリアに対する考え方や価値観は変わられましたか?

安井氏

じつは留学前後で、キャリア観は変わっていないんです。というのも自分の中でMBA留学というのは、ずっと既定路線でしたから。私の学歴は、いわゆる“エリート”の道に乗っかれる一流のものではないとの自覚があり、大学卒業後のキャリアとして当時は決して一般的ではなくまた時代的に皆に敬遠されていたベンチャーに行くことを選択しました。入り口での競争を避けると共に、できるだけ早く多くを学び、責任あるポジションにつけることを狙ってのことでした。

ただ、ベンチャーの環境というのは自主的・主体的に動ける一方で、仕事を教えてくれる人がいない場合が多い。教育制度が整備されていることも少ないので、仕事が自己流になりがちな面もあります。ですから、20代のうちには必ずMBA留学をしようと思っていました。

渡邊

学生時代からキャリアを戦略的に考えておられたのは、さすがですね。さらに「20代で」と、時間軸もしっかり捉えて考えておられる。

安井氏

私にとって20代は、インプットをしまくる時期。もちろん日々の仕事の中で成果や実績を出すことは必要ですが、とにかく何でも学び、チャレンジし、インプットをしたかった。プライベートなどはなくてもよくて、仕事漬けでもかまわないと思っていました。そして次の30代は、いよいよアウトプットをしていく時期だと捉えていました。また、あわよくば“プロ経営者”と呼ばれるものになりたいとも。

渡邊

それを実現するための、「20代でのMBA留学」だったのですね。

安井氏

はい。私が留学した理由は、大きくは二つです。一つ目は、ベンチャーの中で自己流でやってきたことが、果たして他の環境で展開した時に通用するのかを確かめること。大企業やコンサルティングファーム、IBなどで仕事をしてきた人と比べて、自分がどのくらいのレベルにいるのかを知ることでした。二つ目は、しっかりと経営に関する知識を学ぶこと。これまでに獲得した経験ベースの学びは自分の中に蓄積されているものの、今後、人の上に立っていこうとしたときや未経験の分野における意思決定に接したときに、自分の中のそれらを一般化して伝えなければならない場面や一般論を理解しておく必然性が必ず出てきます。その際、私固有の知識や経験を伝えるには、どうしても自己流では難しい。ですから普遍的・体系的に知識を学べる、あるいは自分以外の経験を持った他の人間とディスカッションできる「MBA留学」という場は、自分の中では必須だったのです。

キャリアの多様化を狙って、コンサル業界へ

渡邊

そうしてケンブリッジに私費留学されたわけですが、ご卒業後の進路として、なぜコンサルティングファームを選ばれたのですか?

安井氏

もう一度、事業会社へ戻る選択も勿論ありましたが、「これまでと全く違う経験を積むことによって、さらに“その先”のキャリアの幅が広がるのでは」と考え、コンサルティングファームへ進みたいと思いました。20代・30代で事業会社とコンサルティングファームの両方を経験しておけば、いざとなったときに両方の分野で何とかなるというか。いわばキャリア上の最大のリスク回避策は、キャリアや経験・スキルの多様化と考えたわけです。また、キャリアも経営も、複数の経験や視点を持てれば、より合理的に物事の判断ができるのではという考えもありました。

渡邊

なるほど。では数あるファームの中で、なぜ経営共創基盤(以下、IGPI)様だったのでしょう?

安井氏

たしか私が入社したのはIGPIが設立されて間もない頃、まだ3ヵ月ほどの時期だったと思います。リスクはあるが自分でファームを作り上げていく面白さ、立ち上げたばかりという状況に魅力を感じました。安定していることよりも、自分にとってチャレンジングな環境に身をおきたかったですし、立ち上げたばかりであれば、自分のフレーバーも出しやすいと考えて入社を決めました。

渡邊

IGPI様をご紹介した私が申し上げるのもおかしいですが…大手ファームをはじめ多くのオファーを手にされていた中、なかなかできないご決断ですね。

安井氏

いつも私の胸にあるのは、その時々の時代において最先端の仕事をしていたいということ。それは個別の仕事においても、仕事の領域においてもです。それこそが、最もチャレンジングな環境なのではと思うからです。学生時代はそれが「ベンチャー」でした。ただMBA留学から戻ってくる時期、すでにベンチャー業界はしぼんでおり、チャレンジできる余地があまりなかった。では何が? と考えたとき、「再生」というテーマを見つけたんです。

当時はちょうど景気も悪くなりかけている中、産業再生機構が解散し、そこにいた人材が各所に散って活躍をはじめようという時でした。また企業再生・事業再生に関する法整備も進み、これは民間においても旬のテーマ、旬のビジネスになると感じたのです。加えて再生の仕事というのは経営知識における総合格闘技、つまり非常に多面的な能力と判断が必要とされるだけでなく、修羅場を通じて人間としても鍛えられますから、非常に厳しい環境ではあるものの、経営者を目指す人間にとっては環境としても最高なわけです。そうして見回したとき、一部の外資系ファンドやPEなどが「再生」に関する業務を手がけているものの、日本の企業ではほとんど存在しなかった。ですから私が求めるテーマにフィットし、立ち上げという魅力的な環境にあったIGPIに決めました。

渡邊

じつは安井様がビジネススクールをご卒業された2007年と、現在のキャリアマーケットの状況は酷似しています。企業の求人意欲は活発で、MBA人材にはあまたのチャンスがある。でも何かがおかしいと、この仕事をしていて日々感じます。選択肢が多いがゆえのジレンマというか…キャリアの選択が本当に難しい。先ほども申し上げましたが、その点、安井様はキャリアをタイムラインで捉えていらっしゃるのが凄い。その考え方が選択の基準となり、決断力につながっているのですね。

すべての根底を支える「自分の軸」が重要

渡邊

安井様はIGPI様にご入社後、約10年勤務され、最年少でディレクター、さらにプリンシパルにまで昇進されました。MBA卒業後のキャリアとしてコンサルタントを選択される方は多くいらっしゃいますが、短期間で退職され転職する方が多いのも事実。それだけハードな業界であると思うのですが、安井様はなぜ10年という長期間、コンサルタントを続けることができたのですか?

安井氏

コンサルティングファームの仕事というのは、色々なテーマが現れては消えていく側面があります。そこに常に自分のスキルや知識をマッチさせねばなりません。ですからスキル・知識の面、そしてメンタルの面でも、根底を支える“自分の軸”を持っていないと立ち行かないのかもしれませんね。

私の場合、スキル・知識に関しては「ユニークさ」がありました。多くの同僚がプロフェショナルファームや投資銀行の出身という中、私はベンチャー出身でIPOを経験し、その後に役員をしていた異色の経歴。そのユニークさゆえ、ファーム内でオンリーワンの人材になりえ、エッジを立てることができました。また当時、日本の景気が悪くなっていく予兆の中で、実際に現場に意思決定者として入り込んでハンズオンで経営を立て直さねばならないような案件が多く、私の経験をフルで活かすことができました。それから、様々なテーマに対する柔軟性があったことも、サバイブできた要因だと考えています。

渡邊

次々と新たな世界に飛び込んでいかれる安井様ですが、未知の環境に怖れることなく進めるコツのようなものはありますか?

安井氏

私自身、異なる環境に入っていくときも「怖れ」は全くありません。私が次に進むのは、今いる場所で「圧倒的に知識を得た」「この場所ではやりきった」と思うことができ、かつ自分の中でも社会的・対外的にも成果を上げて「成功した」と思えたとき。そこで得た知識とやり尽くせた自信を持って、またチャレンジングな場を求めて移る。ですから新たな世界に飛び込むことは、私にとって怖いというより、とてもエキサイティングなことなのです。

渡邊

昨年37歳でIGPI様を退職され、かつて在籍しておられたMCJ様に執行役員として戻られた時には大変驚きました。そのままIGPI様でキャリアアップされていく道も十二分にあったのに、また異なる環境に飛び込まれたわけですね。

ちょうど今年、パナソニックの常務に就任された元マイクロソフトの樋口様も、元は松下電器産業のご出身。安井様や樋口様のように、上場企業で元社員だった方が経営陣として戻る意味、その価値はどのようなものなのでしょう?

安井氏

企業が経営人材を外部から入れようとするのは、環境変化や事業の変化に内部の人間では対応できないと考えたときです。企業側は様々なリスクをとり、人件費はじめその他も含めて大きな投資をするわけです。特に内部の人間との軋轢は大きなリスクであり、その解消は永遠のテーマかもしれません。その意味で、過去に在籍していた人間を招き入れるというのは、一定の合理性があると思います。

マネジメントというのは、経営能力とともにカルチャーフィットもしてこそ、100%の能力が発揮できるもの。元社員であればお互いをある程度知っていますし、暗黙の信頼感や安心感がある。そのような状況では、より結果を出しやすいのではないでしょうか。

渡邊

なるほど。軋轢解消の、ひとつの良い方法だというわけですね。では古巣に戻ることの個人にとっての価値、安井様にとっての価値とは何でしょう?

安井氏

じつはMCJに移る前、他にもいくつか経営者の職のオファーをいただいていました。ですが実際に経営者として入って成功するためには、「あの人はいったい何ができるんだろう?」と周囲が伺っているうちに、できるだけ早く小さくてもいいからヒットを打つことが重要です。つまりスタートダッシュが大切なのですね。MCJの場合、そのための状況把握にかける時間を短縮できる点が、私にとって大きな価値でした。

渡邊

MCJ様に戻られてから、ヒットは打てましたか?

安井氏

そうですね…まずは経営の方針を整理しビジョンを再構築し成長戦略に向けた第一歩を踏み出せたこと、IRに関する業務を整備できたことでしょうか。10年間、自分なりに外からMCJを見ていて、大きく変えられると考えていたことは実現できつつあると思っています。

いつも、経験や視野を広げられる場所に

渡邊

ご著書の中で、安井様流のヘッドハンターやコンサルタントの選び方、付き合い方について言及されていますが、アクシアムにはどのような印象をお持ちですか?

安井氏

ありがたいことにヘッドハンターやコンサルタントの方から様々なお声がけをいただくのですが、密にお付き合いしている方はわずかです。多くの方が案件ありきというか、ご自身が持っておられる求人に相談者を当てはめようとしておられるように感じるからです。転職したその先に、いかなるキャリアの展望を持つかが大切であるのに、案件のさらにその先のキャリアの話をディスカッションできない場合が多い。いわば「情報屋さん」なんですね。

アクシアムさんに関しては、長期的な視点に立ったキャリアのディスカッションパートナーとして信頼しています。振り返ると、渡邊さんと幾度となくお会いしているのに、案件のお話をしたのはとても少ない気がします(笑)。

渡邊

そうですね。具体的な案件の話をしないコンサルタント…とよくキャンディデイトの方に言われます(笑)。勿論お会いした後に案件のご提案をするのですが、まずはその方とよく会話し、その方を知り、展望を聞き出したい。展望があやふやな場合には、一緒に作るところから始めたいんです。ですから安井様から“ディスカッションパートナー”と言っていただいたのは、コンサルタント冥利に尽きますね。

安井氏

それから、相談内容にも提供してくださる案件にも“テーラーメード感”がある印象です。そしてMBAホルダーの相談を数多くされていますので、色々な事例をお持ちです。その点も非常に私には参考になりました。

渡邊

ありがとうございます。さらに嬉しいお言葉ですね。最後に伺います。素晴らしいキャリアを構築され、成功されている安井様ですが、まだまだゴールではなく道の途中にいらっしゃると思います。これまでのキャリアを礎に、今後はどんな挑戦をされたいとお考えですか?

安井氏

じつは「長期的にこうなりたい」というような目標は、あえて作らないようにしています。何だか決め打ちのようで、選択の幅が狭まる気がして。もちろん経営者として、この場所でしっかりとコミットしていきたいですが、その先に具体的に「〇〇〇をしたい」というのは持っていません。

ただ、自分の中で「成功の定義」があるとするなら、それは「いま自分が見えている限界や夢よりも、5年先、10年先の自分の見ている限界なりがさらに広がっていること」です。つまり、自分の可能性や自分がその時点で持ちうる夢の大きさが現在より広がっていれば成功なのではないかと。そのことを目指し、その時々において、もっとも自分の経験や視野を広げられる場所にいたいと思っています。

渡邊

キャリアについてお話をされるとき、安井様は本当に楽しそうですね。自分のキャリアについて考えることは、本来的には楽しいこと。キャリアが人生のすべてではないかもしれませんが、人生の重要な位置を占めることは間違いありません。そのキャリア、そして人生を語るのは幸せなことであるはずです。その「当たり前」を体現していらっしゃる点が、安井様の素晴らしさだと思います。それから自分の「成功の定義」をしっかり持っていらっしゃること。この不確実な時代において、キャリア構築の成功のために、それはとても重要であると感じました。

本日はお忙しい中、読者の方々にとって示唆に富む、また大いに参考になるお話の数々をありがとうございました。今後の安井様の益々のご活躍を願っています。

Profile

安井 元康

株式会社MCJ 社長 兼 最高経営執行責任者(COO)

安井 元康 氏

1978年東京生まれ。都立高校を経て2001年明治学院大学を卒業、GDH(現ゴンゾ)に入社。翌2002年おなじくベンチャー企業の株式会社エムシージェイ(現MCJ)に転職。2004年、同社のIPO実務責任者として東証マザーズへ上場達成後、26歳でCFO(執行役員・経営企画室長)に。その後、自身の学歴コンプレックスを解消し、同時に自己流の仕事術がどれだけ通用するかを確認するためにケンブリッジ大学大学院へ私費留学。同大でMBAを取得。その後、2007年に経営共創基盤に入社し、4年弱でディレクターに昇進(同社最年少)、その3年後にはプリンシパルに。2016年、再び株式会社MCJに執行役員として入社。2017年4月より、同社の社長 兼 最高経営執行責任者(COO)に就任。

インタビュアー/担当キャリアコンサルタント

渡邊 光章

株式会社アクシアム 
代表取締役社長/エグゼクティブ・コンサルタント

渡邊 光章

留学カウンセラーを経て、エグゼクティブサーチのコンサルタントとなる。1993年に株式会社アクシアムを創業。MBAホルダーなどハイエンドの人材に関するキャリアコンサルティングを得意とする。社会的使命感と倫理観を備えた人材育成を支援する活動に力を入れ、大学生のインターンシップ、キャリア開発をテーマにした講演活動など多数。
大阪府立大学農学部生物コース卒、コーネル大学 Human Resource修了
1997年~1999年、民営人材紹介事業協議会理事
1998年~2002年、在日米国商工会議所(ACCJ)人的資源マネージメント委員会副委員長
著書『転職しかできない人展職までできる人』(日経人材情報)

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