サービス案内“展”職成功者インタビュー

寺尾 健治

スミダコーポレーション株式会社 ジェネラル・マネージャー

スミダパワーテクノロジー株式会社 専務取締役

寺尾 健治 氏

転職して12年。
会社で一番楽しい仕事をさせてもらっている

自動車、家電、産業機器、医療機器などあらゆる電子機器の必須部品となるコイルのグローバルリーディングカンパニーとして発展し、日本での委員会設置会社第一号、コーポレートガバナンスランキング一位、楽天やファーストリテイリングよりも10年以上前に英語公用語化を推進したことなどで知られるスミダグループ。2000年のMBA留学時にアクシアムとのキャリア相談を開始され、2005年、スミダコーポレーション株式会社に転職を果たされた寺尾健治氏。ご相談当初からの担当キャリアコンサルタントである渡邊光章が、転職から12年を経て益々ご活躍中の寺尾氏に、現在のお仕事、転職やキャリアなど、様々なお話を伺いました。

年間150日の出張。3つの職責を兼務

渡邊

本日は貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。本当にお久しぶりですね!今回、寺尾さんにお目にかかれるのを個人的にもとても楽しみにしていました。まずは現在のお仕事についてお教えください。

寺尾氏

現在、スミダコーポレーションという一部上場の電子部品メーカーに在籍しております。渡邊さんにサポートをいただいて入社し、12年目を迎えました。私はいま、3つのファンクションでアサインメントをもらっています。まず一つ目は製造部門のジェネラル・マネージャー。日本の2つの工場とタイの工場を見させてもらっています。二つ目はスミダの戦略子会社でのマネジメント。メディカル向けの電子部品会社で、2014年に私が設立を提案し、そこの経営に携わっています。3つ目がM&A部門のヘッド。CEO、社長、CFOの直下で部門のリードを行っています。

渡邊

3足の草鞋とはすごいですね。子会社の立ち上げも手がけられたのですか?

寺尾氏

トップマネジメントにM&Aを提案しました。日本光電工業さんという企業のトランスフォーマー(変成器)のビジネスを2014年に譲り受け、その受け皿となり事業を更に発展させるための会社を立ち上げました。本社の社長がその社長を兼任していますが、私は専務の肩書きで実務の統括を務めさせていただいています。現在、売上高が15億円位の小さな会社ですが、数年後には30億、あるいはそれ以上まで伸ばしたいと考えています。

人生のワイルドカードを引きたいとMBA留学

渡邊

ご活躍の様子を伺い、転職をお手伝いさせていただいた者として嬉しいかぎりです。寺尾さんのキャリア構築の中で、MBA留学は大きな転機だったと思うのですが、そもそもなぜ留学されようと思われたのですか?

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寺尾氏

大学を卒業し、エクソンモービルグループの東燃に入社した私は、そこでファイナンスやアカウンティング系の職責、いわゆるFP&Aのポジションで約5年勤務していました。ところが1998年に原油価格が下落し、会社は早期退職プログラムを発動。当時の私のレベルでも、退職に際し数百万円が支給される制度ができました。そこで…「折角の機会なので、これを機に、人生が面白くなるようなワイルドカードを引いてみたい!」と思ったんです。そうして早期退職プログラムに応募。ですが、実は退職後に何をするか、ほとんど決めていませんでした。まずは、ニューヨークでぶらぶらしながら考えようと言うことで、数ヵ月ハーレムに住みながら、毎日、オペラやミュージカル、ジャズを聴きに行ったり、ミュージーアムを梯子したり、街中をほっつき歩いたり、セントラルパークでボケっとしたりを楽しみました。合間に、キーウエストでダイビングをしたり。その後、日本に帰国してからはずっと泊りこみで衆議院議員選挙に挑戦する友人を手伝う、なんてこともしました。自由民主党の当時の選挙対策委員長から衆議院選挙区の公認をやろうなどとありがたいお話もいただきましたが、熟慮の末そのお話は見送り、2000年に米国へMBA留学。理由は情けないのですが、どんな形であれ“社会復帰”するにあたり、「ビジネススクールくらい出ていないとだめだろう」という至極単純なものでした。

渡邊

ご卒業後は、戦略コンサルティングファームでのキャリアを選ばれましたよね。それはどうしてですか?

寺尾氏

私は留学中、サマーインターンを3社で経験させていただきました。某ベンチャー企業での資金調達のサポート、ソニーの関連ベンチャー企業での音楽配信ビジネスの市場調査、そしてゴールドマン・サックスです。こちらが最も長く、約3カ月間のインターン生活でした。もともと私には事業会社で働きたいという長期的な展望があり、インターンとしてゴールドマン・サックスで勉強をさせていただけたので、卒業後は金融業界には行かず、その他の道を探そうと考えました。また、卒業後もさらに自分を鍛えたいという思いがあり、「セカンドビジネススクール」なんて言われることの多い戦略コンサルティングファームへ行こうと考え、A.T.カーニーに入れていただくことになりました。

ワシントンDCでの出会いからキャリア相談開始

寺尾氏

そんな留学中でしたね、渡邊さんと初めてお会いしたのは。2000年に渡邊さんがワシントンDCにいらして、キャリア関連のセミナーをされた後、参加者とディナーを食べた席でした。確かタイ料理だったと記憶しています。そこから色々と相談にのっていただき、キャリアについて共に議論していただきましたね。結局MBA卒業時の就職は、先にA.T.カーニーで働いていた大学時代の友人の伝手で応募し入社することになりましたが、2004年、戦略コンサルタントとして2年が経過したところで「じゃあ、次の事業会社へのキャリア展開はどうする?」と考えたときに、本格的に相談、カウンセリングをお願いしました。

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渡邊

タイ料理のことまで覚えていてくださったなんて、嬉しいです。アクシアムとの出会いは皆さん様々ですが、キャリア開発について考えていただくセミナーに参加して、という方も多いんですよ。弊社の場合は、キャリアコンサルティングを受けていただいてから、転職を希望されて活動を開始し、実際に入社されるまでの期間が長い方も多い。最近、過去のご紹介実績を調べる機会があったのですが、その期間が3年、5年、中には10年という方もいらっしゃいました。そんな風に長いおつきあいをしていると、その方が変わっていかれたところ、変わらずに持ち続けておられるものがわかってくるんです。

寺尾氏

それは面白いですね。

渡邊

このことが、他のいわゆるサーチファームとは違う、うちならではの特長なんじゃないかと。その人のアプリケーション、ナレッジが上がっていくのは素晴らしいことで、そのことも当然コンサルタントは把握しているわけですが、実際の転職の際、求人企業への有効な推薦ポイントとなるのは、じつはその方が持つ“変わらない軸”だったりします。

寺尾氏

そこはすごく大事で、やっぱりキャリアの軸はしっかり持っておかないといけないと思います。私が言うのもなんですが、軸がないと世の中からも信頼されない。自分が好きでやっていきたい、自分の価値観、大事にしたいもの、優先順位はこうですと強く信じているものがしっかりしていないと。それがあれば、誰かからぜひ一緒にやりましょう、一緒にやってくれと言って貰えて、かつ結果もついてくるんだと思います。

「ロジカルに考えること」と「人を動かすこと」

渡邊

寺尾さんは「事業会社で経営を目指す」という展望をお持ちだったわけですが、戦略コンサルティングファームに入られてから、寺尾さんにとって“経営者”はどんな風に見えていましたか?また現在、経営幹部として事業の指揮をとる立場になられて、その見え方に変化はありましたか?

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寺尾氏

すごく生意気なんですが、正直に申し上げますと、コンサルタント時代には「明日からでも一部上場の部長クラスならできる」と思っていました(笑)。ですが、現在のジェネラル・マネージャー職になってみて、わかったことがあります。経営を行う上で「ロジカルにこれが正しいから、こうすれば数字が出るはずだ」という仮説は、私自身MBAでの学びから持ってはいる。ただ、それを実際に行うのは人。行う人の能力やモチベーション、得意・不得意、好き嫌い、人間関係など、そこまで把握したうえで人を動かさないと本当に良い結果は出ない。つくづく経営は生ものなんだとわかりましたし、日々身に染みています。ただ、逆にその両方ができれば、物事は楽にまわっていくと感じています。

渡邊

いわゆる会社組織だけで経験を積んできた人と、ビジネススクールやコンサルティングファームで“ケース”などを学んだ人では、後者にアドバンテッジがあるとお考えですか?

寺尾氏

そこは…私の勝手な考えですが、やはりあると思います。というのは「ロジカルに考えること」と「人を動かすこと」の両方が必要ですが、“人間系“はある程度年輪を積み重ねてからでもスキルとして積み上げることができます。しかし、”理論系”は若い頃に集中して鍛えておかないと、後からのキャッチアップはきついのではと感じています。先に、“理論系”を押さえておくと、やみくもに何でもかんでもやらなくても「ここと、ここと、ここのポイントを押さえておけば、だいたい設定した目標には達する」「ここはボトルネックだから、絶対解消しないといけない」なんてことが見える。良い仮説が立てられ、かつ、それが概ね当たっている。この点は、MBAと“コンサルタント修行”の大きな効力だと思います。それに加えて上手く人を動かすことができると、部下にむちゃな負担をかけなくても結果が出る。そうすると部下からも信頼を得て、すごくいい循環を生みだすことができます。ただ、この両方ができる人は、案外世の中に少ないのかもしれませんね。

挫折の先で得たもの、見えてきたもの

渡邊

「事業会社で経営を目指す」という目論見のもと転職され、実際にそれを実現され、順風満帆にも思われますが、スミダ様へ入社されてから最も困難だったことは何ですか?

寺尾氏

入社当初、M&A部門のリーダー職(日本の一般的な会社で言うと担当課長職相当)を拝命していたのですが、3番目に手がけたディールは、前任者から引き継いだあるベンチャー投資でした。それがなんと投資をした後に、財務状態がかなり厳しく、ビジネスモデルにも問題が多いことがわかったんです。そこで自ら半年間乗り込み、相当なリストラを行い、プランニングの精度を上げるなど様々な手を打ちました。なんとか単月黒字までは改善できたものの、最終的にはさらに1年半をかけ、その会社を整理するという事態に。やはりその会社を建て直しきれなかったことは、私の20代・30代を通じての極めて大きな挫折です。トータルではスミダグループへの影響を最小限にできたので良かったといえますが、当然、そこで働いていた方々は職を失うことになり…非常に重たい結果。もっと違うやり方があったんじゃないか、もうちょっと資本のコミットメントを高めて徹底的に立て直すべきだったんじゃないか、など今でも色々な思いがよぎります。

渡邊

会社の整理まで経験されていたんですね。それは大きな教訓を残したご経験だったでしょうね。その後のお仕事にも、役立つことが沢山おありになったのでは?

寺尾氏

はい、非常に大きな経験であり、学びでした。私はこれまでM&A担当として7件のクローズを行いましたが、そのうち4件は自分がリーダーとしてでした。それらを実務責任者として手がける上で初期の失敗経験は糧になったと思います。ちなみに7件のM&Aには、クロスボーダーの売り、買い、ベンチャーの持分法投資、事業譲渡と様々な形態も含み、M&Aのパターンのほとんどを経験することができました。事業会社でこれだけM&Aの数・種類を経験している人はそんなにいないでしょう。それらをやらせていただいて、かつビジネスも見なさいと、製造工場のジェネラル・マネージャー職、戦略子会社の立ち上げから運営まで担当させてもらっている。本当に幸せなことです。たぶんスミダで一番楽しい仕事をやらせてもらっているのは、私じゃないでしょうか。

今後の展望、伝えたい思い

渡邊

今後の寺尾さんの展望をお聞かせください。あるいは40代~60代のキャリアを、どう創っていこうとお考えですか?

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寺尾氏

正直、今の仕事がとても楽しいんです。やりがいも、ものすごくあります。それから、じつはワークライフバランスも最高にいい。私は年間の出張が150日位あるんですが、それ以外は自宅勤務もOK。有給休暇も100%消化です。ちなみに私は過去に在籍した企業のすべてで、有給休暇を100%消化してきています。それでも仕事をきちんとやる。だから上司や会社も認めてくれたのでしょう。ワークライフバランスが良くて、上司との関係も良くて、好きなことをやらせてもらえて、部下やチームもいい…だからこれ以上の場所はないと感じています。さらに、日本でも指折りのプロの経営者である、CEOの八幡、社長の栖関、CFOの本多からの学びもある。ここでしっかりやらねばならない、もっと結果を出したいと強く思っています。

渡邊

素晴らしいですね!ご紹介後(転職後)、その場所で能力を存分に発揮し、ハッピーに過ごされ、しっかりキャリアを創っていただけているというのは、本当にアクシアムにとって嬉しく幸せなことです。単に会社を変わるのではなく、ご入社された先で成果を出していただけること、経営のプロになっていただけることが私たちの目標ですから。最後に後輩の皆さん、20代・30代・40代の方へ、何かアドバイスをいただけますか?

寺尾氏

そうですね。20代の方には、尊敬できる先輩や上司、ロールモデルとなる人を見つけて、徹底的にその人から技を盗むことをお薦めしたいです。技を盗むことは尽くすことでもあって、徹底的にその人の仕事も含めて自分が先回りしてやる。「こいつ使えるな」と思ってもらえれば、さらに色々なことを教えてもらえる。20代はとことん丁稚奉公をすべきだし、した人の方が伸びるのではないでしょうか。30代は、だんだん独り立ちしていく世代ですよね。だから自分の得意技で必ず成果を出すこと。自分のこの得意技であれば、世の中の誰にも負けないと言えるようにもがき、苦しみ、必ずやり遂げてほしいと思います。40代は、私も40半ばなんですが、人を通じて成果を出す世代だと思っています。人を通じて成果を出すことは、人を育てること。また、組織の10年後を見据えたうえで仕事を組み立てねばならない。そこをプレーヤーとしてではなく、全体を見るプロデューサーとして行うことが大切なんじゃないかと考えています。

渡邊

本日は大変参考になるお話の数々をありがとうございました。今後も益々ご活躍されることを願っております。

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Profile

寺尾 健治

スミダコーポレーション株式会社 ジェネラル・マネージャー

スミダパワーテクノロジー株式会社 専務取締役

寺尾 健治 氏

東燃のファイナンス部門でアナリストとしてキャリアをスタートし、その後、A.T.カーニーでは戦略コンサルタント、ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパンではビジネス・プラニング・マネージャーとして活躍。2005年よりスミダコーポレーションに参画。現在は日本およびタイにおける製造の統括、国内医療向け電子部品戦略子会社の統括、M&A責任者などを兼務し、年間150日以上が出張という多忙な日々を送る。
東京大学文学部卒、ジョージタウン大学経営学修士(MBA)

インタビュアー/担当キャリアコンサルタント

渡邊 光章

株式会社アクシアム 
代表取締役社長/エグゼクティブ・コンサルタント

渡邊 光章

留学カウンセラーを経て、エグゼクティブサーチのコンサルタントとなる。1993年に株式会社アクシアムを創業。MBAホルダーなどハイエンドの人材に関するキャリアコンサルティングを得意とする。社会的使命感と倫理観を備えた人材育成を支援する活動に力を入れ、大学生のインターンシップ、キャリア開発をテーマにした講演活動など多数。
大阪府立大学農学部生物コース卒、コーネル大学 Human Resource修了
1997年~1999年、民営人材紹介事業協議会理事
1998年~2002年、在日米国商工会議所(ACCJ)人的資源マネージメント委員会副委員長
著書『転職しかできない人展職までできる人』(日経人材情報)

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