MENU
- MBA転職・外資系求人(HOME)
- イベント
- キャリアフォーラム
- 日本トイザらス・副社長兼CFO 石橋氏が語る「コントローラの挑戦」
イベントキャリアフォーラム
日本トイザらス・副社長兼CFO 石橋氏が語る「コントローラの挑戦」2009.03.12
2009年2月21日(土)、六本木アカデミーヒルズにて『コントローラの挑戦 ~資源配分と戦略形成~』と題したキャリアフォーラムを開催させていただきました。本フォーラムは、日本を担うビジネスリーダーあるいは次世代ビジネスリーダーのキャリア形成の支援を目的とし、毎年開催しているものです。
ご講演をいただいたのは、日本トイザらス株式会社の代表取締役副社長であり、最高財務責任者(CFO)として活躍されている、石橋 善一郎(いしばし ぜんいちろう)氏です。当日は、「コントローラ」という仕事の本質、これまでご自身が辿ってこられたキャリアの変遷など、具体的なエピソードをまじえながら語っていただきました。
キャリアフォーラム開催に際して
本日はお忙しい中、多くの皆さんに弊社キャリアフォーラムにお越しいただき、まずは御礼申し上げます。経済の停滞をはじめとする暗いニュースが連日報道され、危機感ばかりがつのりがちですが、幸いにも本日のお天気は雲ひとつない快晴となりました。この空のように、日本そして世界の経済に明るい兆しが戻ってくればと願ってやみません。これから皆さんとともに、厳しい冬のあとの春の予感を持てるような、前向きで有意義な2時間を過ごせればと思っています。
私たちアクシアムがスタートしたのは1993年。現在に至るまでの間、何度か大きなパラダイム・シフトを体験しました。最初は日本長期信用銀行などの大手金融機関が破綻した1998年、2度目はエンロン事件が発端となり、監査法人アーサー・アンダーセンが約100年の歴史を閉じた2002年です。どちらの年も経済情勢の悪化とともに企業の求人が冷え込み、就職・転職を希望する個人にとっては厳しい時期となりました。そしてご承知のとおり、昨年9月、150年以上の歴史を持つリーマン・ブラザーズが破綻。世界経済に多大なインパクトを与え、求人・求職の現場においても大きな変化、逆風をもたらしています。
そんな状況下、日本の社会には高度な経営人材、CFOが益々必要になってきています。今年のフォーラムの開催にあたり、どなたにご講演をお願いしようかと思いをめぐらせていたのですが、やはりそんな変化が起きている今こそ、ファイナンスの分野、企業経営の第一線で活躍されている石橋様にぜひお話いただきたいとの考えに至りました。大変お忙しい中、無理をいって本日は石橋様にお越しいただいています。石橋様には、改めて感謝申し上げます。
私自身、石橋様のお話が大変楽しみでなりません。きっとこれまでのご自身の経験に基づいたお話をたくさん伺えるでしょう。皆さんと一緒に”考え”て、そして”感じる”ようなフォーラムにしたいと思います。最後まで、宜しくお願いいたします。
第一部 基調講演
コントローラの挑戦 ~資源配分と戦略形成~
本日はこのようなお時間をいただき、ありがとうございます。どうぞ宜しくお願いします。今日、私がお話したいのは「CFOの仕事」「CFOのキャリア」とは、いったいどのようなものなのか? ということです。CFOの役割を端的に申し上げると、CEOをサポートし、企業の経営に積極的に関わっていくことだと私は考えています。そのようなCFOの仕事をするためには、当然、様々な勉強・スキル・経験が必要です。どんな人でも、ある日突然CFOになれるわけではなりません。必要なものを身に付けて初めて、CEOを助けることができるようになります。
では何が必要で、具体的にはどんな職務・責務を負うものなのか。私自身のこれまでのキャリアについても触れながら、早速お話していきたいと思います。
スタンフォード時代… バーゲルマン教授、アンディ・グローブ氏との出会い
まずは簡単に、自己紹介をさせていただきます。私は上智大学の法学部を卒業後、富士通株式会社に勤め、スタンフォード大学に留学してMBAを取得しました。留学2年次に戦略論の授業として、ロバート・A・バーゲルマン教授、そして当時インテル株式会社のCEOであったアンディ・グローブ氏の講義を受ける機会に恵まれました。バーゲルマン先生は、企業が社内に新規事業を立ち上げる際のプロセスの研究者として著名な方です。そのバーゲルマン先生が、アンディ・グローブ氏を招いて行ったこの授業は、私に大きな影響を与えました。
授業の中身は、インテルがベンチャー企業として誕生し、マイクロプロセッサの王者として成功し、その成功ゆえに次の新規事業がうまくいかず、CEOであるアンディ・グローブ氏がその責めを負うまでの過程をひもとく重い内容。インテルの設立、DRAMの成功と撤退、マイクロプロセッサの成功と市場の成熟化、ネットワーク事業への進出と失敗…これらを十数個のケース・スタディとして取り上げるというものでした。
戦略論の研究者には、「企業の持つ資源」あるいは「市場でのポジショニング」に着目するなど様々な立場がありますが、バーゲルマン先生の特徴は、そのような要因だけを見るのではなく、「プロセス」自体こそ重要であると主張されている点です。そして、企業が既存の戦略から次の戦略へ移る際、内部ではどのような形で移行が行われるのか、というモデルをいくつか作られています。
詳しくは後でお話しますが、なぜ今日このモデルに触れるかというと、戦略が形成される過程で、企業は様々な施策を行わねばなりません。施策を実行するためには、資源をいかに配分し直すかが重要になってきます。その資源配分の際に、CFOやコントローラ、ファイナンスの組織が、どのように企業の戦略形成プロセスに関わり、企業の新たな成長に貢献していけばいいかが見えると考えるからです。
バーゲルマン先生の書かれた本に『インテルの戦略』(註1)があります。じつは私が監訳を担当させていただいたものなのですが、どのようなモデルでどのような結果が生まれ、その際にファイナンスがどのような役割を果たしたのかが詳しく書かれています。お読みいただければ、本日の私の話が、より理解いただけると思います。
職業人としての歩み…
インテルでの貴重な経験、そして日本トイザらスへ
冒頭でも少し触れましたが、私がキャリアをスタートさせたのは、富士通株式会社です。予算管理や事業管理を行う部門で働き、その後、富士通アメリカへ転籍。それはちょうど、1980年代後半の日系企業が絶好調だった時期でした。富士通アメリカでM&Aに関するファイナンス業務等に携わった後、スタンフォード大学で2年間学びMBAを取得。帰国後は、戦略コンサルティングファームである株式会社コーポレイト ディレクションへ移りました。1年程コンサルタントとして働いた後、インテルの日本法人(インテル株式会社)へ予算部長として転職。経理部長やコントローラを務めていたのですが、2000年、幸運にもインテル米国本社の製品事業部のコントローラとして働く機会を得ました。この時、米国本社で働けたことはその後の私にとって大きな意味を持ち、感謝してもしきれない貴重な経験だったと思っています。
米国本社では、ノートブックPCを新たに製作するためのCPUを開発する部門のコントローラを拝命しました。そこで3年間働いた後、今度はインテル日本法人に帰任。日本法人のコントローラになることができました。インテルは本当に素晴らしい企業で、多くのことを学ばせてもらいました。今でも働いていたことを誇りに思っていますが、その頃からインテルが大企業であるがゆえに、「私がいなくても、事業や会社は成功していくのでは」との思いを抱くようになりました。
インテルで積み重ねてきた私のキャリアは、いわば外資系のファイナンス部門での経験のみ。バランスシートの左側に関わる仕事がほとんどです。今後の自分のキャリアのためには、ぜひバランスシートの右側にも関わる仕事がしたい、そのためにも一度外に出てやり直さねば、との思いを強くしていったのです。そこで2005年、リップルウッド・ホールディングスの投資先であった株式会社ディーアンドエムホールディングスへの転職を決意しました。ファンドの投資先に行ってCFOを務めるのは、かなり大変だろうとの思いも正直ありましたが、こういうチャレンジをしなければ自分のアップサイドはないだろうと、自らを鍛えるつもりで飛び込みました。そこでは大幅な赤字を出していた事業からの撤退等を経験し、東証二部から一部への指定変えにも成功することができました。
そして約15ヵ月前、現在所属する日本トイザらス株式会社へ。なぜトイザらスへ移ったかというと、やはり「今後は経営に関わっていきたい」と考えたからです。CEOのサポート役としてのCFOや役員ではなく、将来的に自分もCEOになるチャンスがほしいと思いました。ディーアンドエムホールディングスの仕事は面白く、大変やりがいもあったのですが、残念ながらそのチャンスはありませんでした。日本トイザらスから声がけがあった際、私は「当然CFOとしての仕事はきちんとさせていただきます。が、結果を出した数年後、私がCEOとなるチャンスはあるでしょうか?」と率直に尋ねました。彼らの回答は「ゼロではない」というもの。そこで再び、飛び込む決心をしたのです。
これまでずっと製造業に身を置いてきたわけですが、今度は異業種である小売業。大変なことが多いものの、小売業でのビジネスは大変エキサイティングです。良い仕事をさせてもらっており、本当に移ってよかったと感じています。
「コントローラ」とは
以上、私の簡単な自己紹介をさせていただきました。つぎに「CFO」というキャリアを考えるときに、絶対に避けてはいけないコンセプトについて、述べたいと思います。それは「コントローラ」です。外資系企業にお勤めの方なら当たり前のことと思うかもしれませんし、最近では日系企業でも「コントローラ」という単語が使われるようになってきたのでご承知の方がおられるかもしれませんが、簡単にその役割をおさらいしたいと思います。
ある企業(組織)を思い浮かべてください。CEOがおり、CEOをサポートする者として、となりにはCFOがいます。そしてその下にはトレジャラー(財務部長)とコーポレート・コントローラ(会社全体のコントローラ)がおり、さらにその下には事業部ごとのコントローラが存在します。事業部に属するコントローラには大きく分けて2種類があります。製品開発・製造・営業などの部門を担当するコントローラと、決算などを担当する財務会計部門のコントローラです。この前提を踏まえた上で「CFO」について考えてみたいと思います。CFOとは、CEOのパートナーではありますが、本来CEO(経営者)にもなれる経営人材であるべき/あるはずです。もちろん、財務会計部門のコントローラからCFOになったり、トレジャラー(財務部長)からCFOになるケースが間違っているとは言いませんが、そのようなキャリアのみで果たして本物の経営者人材に成長することができるのでしょうか? 私はキャリアのどこかの段階で、会社の事業そのものをファイナンス面からサポートする=事業部門のコントローラ経験をしていてこそ、本当のCFOの業務を担うことができるのだと考えています。
事業部門のコントローラの仕事というのは、事業部のマネージャーの成功をサポートする参謀役。そのような経験と学習を経てこそ、将来、上の立場になっていった時にCFOが務まるのだと思います。CFOとしてCEOをサポートする、その中から一部の人たちはCEOになれる。以上の点は本質的なことながら、認識されている方が意外と少ないのではないでしょうか。財務部長から突然CFOになれると思い込んでいたり、金融業界でM&AのコンサルティングやIPOのコンサルティングを経験してきて事業会社の財務部長になり、その次にはCFOになれると思われている方がいらっしゃったら、ぜひ認識を改めていただきたいと思います。
※<石橋氏 註>本多義行 『MBA管理会計』 日経BP社(2003年)の78ページを参考とさせていただきました。
インテルにおけるファイナンス=Full Business Partner
私がかつて属していたインテルでは、ベンチャー企業として起こったその成り立ちから、投資へのリターン(プロフィット)をきちんと提示するという姿勢がファイナンス部門の人間に強く根付いていました。そしてファイナンスに関わる者は、プロフィットを生み出す事業部門の人間の「Equal Partner」とされ、その活動の成功を全力で支援する存在たることが求められていました。ファイナンス部門の責務として、当たり前のことですが「KEEP INTEL LEGAL」つまりコンプライアンスの遵守が掲げられる一方で、同等に「Business Partner」であることが重視されていました。投資などの正しい判断を行い、ROIを計算し、バランス・スコアカード等をきちんと作成し、いかに組織の発展に貢献できるか。働いていた当時、「KEEP INTEL LEGAL」はファイナンスの人間としての最低限のライセンスだが、もし君が上へ行きたいと考えているなら「Business Partner」として成果を出していかなければいけない、とよく言われたものです。
インテルで使われていた概念の中で、有名なものをご紹介します。それは「Full Business Partner」という考え方です。ファイナンスに関わる方の中には、あたかも”専門家”や”先生”のように振る舞い、自分の周囲に立派な城を築いて「相談があるなら、ここへいらっしゃい」「困ったことがあるなら相談に乗りますよ」というマインドセットで仕事をする人がいます。それではダメです。100%のFull Business Partnerとして、城から出て戦いが起こっている現場に自分も行き、共に戦う。あるいは味方が戦いに勝利できるよう、様々な支援を行う。ファイナンスの人間には、そんな姿勢が必要だと私は思います。さらにいうと、「私の専門は○○です」「専門の○○について、Business Partnerとして貢献します」では、コントローラとしては一番低いレベルで、さらに積極的に価値創造に関与し、意思決定に影響を与えるような貢献ができて初めて、Full Business Partnerといえると思います。
Business Partnerとしてタッグを組む相手に影響を与え、共に正しい判断を下していく…コントローラとしてそのような経験を積み重ねることが、本来のCFOの仕事、CFOのキャリアに繋がっていくと考えています。
(註1)『インテルの戦略 – 企業変貌を実現した戦略形成プロセス』 ロバート・A・バーゲルマン(著)、石橋善一郎 ・宇田理 (監訳) ダイヤモンド社/2006年
ハロルド・ジェニーンに学ぶ
インテルで約14年間働き、私は以上のようなコントローラの概念を得たのですが、このような米国型コントローラともいうべきビジネス・パートナー・モデルは、どのように誕生したのかと考えるようになりました。たまたま出会った『プロフェッショナル・マネジャー』(註2)という本の中に、その源流のようなものを感じました。著者であるハロルド・ジェニーンは、かつて世界的コングロマリットとして繁栄したITTグループのCEOを務めた人物であり、その在任中には14年半連続増益という、アメリカ企業史上空前の記録を打ち立てた人物です。ジェニーンは同書で、以下のような自らの経営論をわずか3行で提示しています。
You read a book from the beginning to the end.
You run a business the opposite way.
You start with end, and then you do everything you must to reach it.
これを読んだとき、私は「自分が持っているコントローラの思考とまったく同じ考え方、つまり逆算の考え方だ」と感じました。そこで著者・ジェニーン自身についてももっと詳しく知りたいと思い、今度は『ジェニーン』(註3)という本を手に取りました。余談になりますが、前述した『プロフェッショナル・マネジャー』はジェニーン自身が書いた自伝。この『ジェニーン』は評伝です。自伝には本人にしか書けない迫力に満ちた事情が記されている一方で、本人だからこそ書ききれない事柄も出てきます。それを補完してくれるのが評伝。第三者の客観的な視点で見つめ直したからこそ、分かることがあるようです。ですから私は、ある人物に興味を持った際には、自伝と評伝の両方をなるべく読むようにしています。
トップマネジメントの重要な一員、との自己認識
さて、なぜ私が今日ジェニーンをご紹介するかというと、経営者になるために彼がどのような職業経験(キャリア)を積み、どのように歩んだかを辿ることが、皆さんにとっても参考になると考えたからです。1910年に英国ボーンマスで生まれたジェニーン。父親の破産等もあって経済的に恵まれなかった彼は、16歳の時にニューヨーク証券取引所の場内でボーイとなり、キャリアをスタートさせます。苦学を重ね、会計事務所で働きながら25歳でCPAを取得するのですが、当時の彼の働きぶりは以下のようなものでした。
ジェニーンが関心をもったのは監査そのものではなく、監査が示唆することだった。数字は企業のその年度の営業成績、すなわち利益率を明らかにした。それらの数字を明示することが監査人の仕事だった。しかしジェニーン個人は、その結果に引き付けられた。経営のまずさを立証する利益率が悪ければ、彼はその欠点に個人的に挑み、経営を正しい軌道に戻すことに熱心に取り組んだ。そのような顧客の実績を突き止めたい一心で、ジェニーンは最初から経営者のやることに積極的に口出しした。
彼は当時から「自分の専門は○○だ」などという考えに捉われることなく、経営にとってまずい点があれば解決しなければならないという視点を持ち、そのためには他者の領分に踏み込むことも躊躇しませんでした。同書には、その後アメリカン・キャン社に転職し、ある工場のコントローラとなったジェニーン(32~36歳)のこんなエピソードも紹介されています。
標準原価計算制度は存在していたが、企業はかたくなにそれを無視し、きわめて単純な繰り返し作業に関してのみ、標準原価計算制度を採用していた。 (中略) ジェニーンは標準原価計算がいかに初歩的で不完全であろうと、できるかぎりのことを学びたいと研究に取り掛かった。自分の権限や能力をこえた分野に首を突っ込むことになるのは、おかまいなしだった。
ただ他者の領分に首を突っ込むのではなく、その裏側で自ら学び、努力をし続けたジェニーン。この「学び続ける」という姿勢は、ファイナンスのキャリアを志す者にとって必要不可欠なものと私は考えています。36歳のとき、彼はベル・アンド・ ハウウェル社に移り、今度は会社全体のコントローラとなるのですが、こんな考えに至っていたようです。
彼の部下はこう語っている。「当時、会計学の講座では、これがトップマネジメントを助けることができるやり方だと教えていた。つまり、会計担当者がトップマネジメントだったわけでも、そうなる見込みがあったわけでもなかった。しかし、ジェニーンの考えは違っていた。」 ジェニーンは自分をトップマネジメントの重要な一員と考え、自分のやり方をよりよい経営を導くための手段とみなしていた。
彼が生きた当時、コントローラの仕事といえばあくまで会計の範疇に留まり、コンプライアンスの点でしっかりした作業を行っていれば100点だとの認識が一般的だったことでしょう。そんな背景の中で、コントローラを「トップマネジメントの重要な一員」と考え、自らの仕事を「よりよい経営を導くための手段」と捉えていた認識の深さには、驚かされるものがあります。
ジェニーンの(1)他人の仕事に首を突っ込む姿勢、(2)常に新しいことを学び続ける姿勢、そして(3)自分の仕事は会社の経営そのものの一部なのだ、という姿勢は、コントローラという仕事の真髄であると思います。
(註2)『プロフェッショナル・マネジャー』
ハロルド・ジェニーン(著) 田中融二(翻訳) プレジデント社/2004年
(註3) 『ジェニーン – ITT王国を築いた男 挑戦の経営』
ロバート・ショーンバーグ(著) 角間隆・古賀林幸(翻訳) 徳間書店/1987年
戦略形成のプロセスを読み解く、3つのフレーム
ここで少し、バーゲルマン先生とアンディ・グローブ氏が展開した戦略論にお話を戻しましょう。そもそも企業の戦略論には4つのアプローチがあるのですが、それは以下のようなものです。
- 企業の外部(業界構造など)に着目し、その要因から論理を展開する「ポジショニング・アプローチ」
- 企業の内部(企業そのものが持つ独自のもの)に着目し、その要因から論理を展開する「資源アプローチ」
- 企業の外部に着目し、そのプロセスから論理を展開する「ゲーム・アプローチ」
- 企業の内部に着目し、そのプロセスから論理を展開する「学習アプローチ」
※<石橋氏 註>青島矢一、加藤俊彦 『競争戦略論』 東洋経済新報社(2003年)から引用させていただきました。
バーゲルマン先生の戦略論は、4番目の範疇に位置します。つまり、企業内部における戦略形成プロセスに焦点を当てた戦略論です。先生はこの立ち位置から、3つの視点/フレームワークを使ってインテルの十数個のケースを分析し、アンディ・グローブ氏との対話の結果を交えながら研究をされました。特に興味深いのは、既存の戦略では立ち行かなくなった際、新しい事業や新しい戦略を生み出すよう変化を起こすには、企業の内部でどのようなプロセスを辿ればいいのかを論じておられる点です。
その第一のフレームは、インテルで「ラバーバンドモデル」と呼ばれていたものを使った分析です。これが3つのうち最も大きなフレームになるのですが、ラバーバンドモデルとは、「業界における競争要因」「企業の独自能力」を縦の軸として置き、「公式の企業戦略」「現場における戦略行動」を横の軸に置き、その中心に「内部淘汰環境」を置いてダイヤモンドのような形状を想定し、それらがどのようにバランスされていくかを見るものです。事業あるいは企業が成功するためには、縦軸・横軸それぞれが真っ直ぐな線上に位置し、きれいなダイヤモンド型をしていなければいけません。そのためには特に、中心にある「内部淘汰環境」=企業の文化、経営陣のリーダーシップ、資源配分決定プロセスなどが重要になるといえます。
※<石橋氏 註> 出所: Burgelman, R.A., Strategy is Destiny: How Strategy Making Shapes a Company’s Future, The Free Press, 2002. (邦訳『インテルの戦略 – 企業変貌を実現した戦略形成プロセス』石橋善一郎 ・宇田理(監訳) ダイヤモンド社/2006年)
第二のフレームは、インテルで「グリーン&ブルーの戦略」と言われていたものです。図の左下にある「トップ主導の戦略行動」がブルーの戦略、左上の「現場主導の戦略行動」がグリーンの戦略と呼ばれていました。既存の市場に対応している分には、ブルーの戦略だけでもうまく回っていくのですが、新しい市場が出現した場合には、グリーンの戦略も同時に必要になります。そしてブルーとグリーンの両方が企業全体の戦略のコンセプトに取り入れられ、進化していってこそうまくいくという考え方です。
第三のフレームは、じつはバーゲルマン先生が戦略論の研究者として有名になった一因となるモデルなのですが、「新規事業のプロセス・モデル」と呼ばれるものです。ここでは、企業の中には3種類のマネジメントが存在すると規定されます。CEOなどのトップマネジメント、事業部長などの上級マネジメント、そしてチームリーダーなどの新規事業のマネジメントです。新規事業を立ち上げるとき、中間にいる上級マネジメントがいかに下のマネジメントから出てきたものを受け入れ、判断し、事業戦略レベルから企業戦略レベルへと正当化されるようにもっていけるか…ここの機能が重要だとするモデルになります。
3つのマネジメント階層には、じつは同様にファイナンスの人間も存在します。CEOにはCFO、事業部長には事業全体を統括するコントローラ、新規事業のチームリーダーにはチームを管理するコントローラという風に。それぞれがそれぞれの場所でマネジメントと共にプロセスに関わり、戦略形成に影響を与えていくことこそ、CFOやコントローラの価値であると私は考えています。
話がずれますが、ビジネスが多角化し、事業部制を敷き、大きく拡大した組織を回していかねばならない際には、このような仕組みは必須のように思います。日本の企業では、この仕組み作りがうまくいっていないケースが多々ある気がします。個人的には、そのような所でこそファイナンス部門の役割が重要で、力を発揮していくべきだと思うのですが。
ファイナンスが変われば、企業・事業も変わる
1999年度から2002年度に起こった日産自動車のV字回復のケースについて、少し触れたいと思います。当時日産は、売上高を60.兆円から6.8兆円に伸ばし、14%の成長を達成しました。立派なことではありますが、そのときのトヨタの成長率は25%、ホンダの成長率は31%。両者と比べると見劣りがします。では何が凄かったのか。それは営業利益を826億円から7,372億円にしたことでしょう。対売上高営業利益率を10%も改善させたことが、V字回復の根幹だと私は考えています。この数字は、トヨタの9%、ホンダの9%を凌駕しています。
では何がその原動力となったのでしょうか。つまり、カルロス・ゴーンの就任前後で何が変わったのか、前述のラバーバンドモデルに当てはめて考えてみたいと思います。「業界の競争要因」や「企業の独自能力」に、急に大きな変化があったとは考えられません。やはり「公式の企業戦略」「戦略行動」そして「内部淘汰環境」が変わったのだと思います。後にゴーン氏自身が指摘していることでもありますが、就任以前の日産には、必要不可欠な2つの経営機能が欠如していました。そのひとつが、コントローラ機能です(ちなみにもうひとつは、全社的なコミュニケーション機能)。それが就任以後には、すべての提案には数字のサポートが義務付けられたというように、変化しています。
コントローラ機能という内部淘汰環境の革新が、業績回復の最大要因ではないか。そんな仮説を私は持ちます。ファイナンスが変われば、何かが確実に変わる。そう申し上げたいのです。
資源の最適配分=ファイナンスの価値
インテルの歴史の中で最も有名な出来事のひとつに、DRAM事業からの撤退があります。DRAM事業とは大成功を収めたインテルの最初の事業であり、発展の契機となったもの。ですが1980年代前半には、日本企業の台頭などにより、インテルには不利な市場環境へと変化が起きていました。苦しい状況は分かっているものの、CEOのゴードン・ムーアとアンディ・グローブは悩み、なかなか戦略変更の決断を下すことができませんでした。
しかし、1984年の時点で8つの工場のうち、DRAM製造に振り分けられていたのはオレゴン工場1つのみ。既に現場では事実上の撤退行動が起きていたのです。ちなみに、この時点でも公式の企業戦略としての撤退は、まだ発表されていません。これこそが、ファイナンスの付加価値なのではと私は思います。つまり、当時のCFOやコントローラの判断によって製造能力の最適配分(再配分)が実行され、傷が拡大するのを防げたのです。
ですが、製造能力の最適配分には力を発揮したファイナンス部門も、研究開発費の資源配分には貢献できなかったようです。半導体の発明者としてのアイデンティティや、DRAMを「技術力の牽引役」と考えていたことが、ブレーキとなったのかもしれません。
戦略形成と資源配分の両立
つぎは、私がインテル米国本社の製品事業部でコントローラとして働いていた際の経験、どのような仕事をしていたかについて、お話したいと思います。2000年春、私は幸運にも日本人初の事業部のコントローラに任命され、渡米しました。赴任先は、業界初となるノートブックPC用の半導体製品「Intel Centrino Mobile Technology」の研究開発を担当する部署でした。しかし渡米したその夏、インターネットバブルが崩壊。コントローラであった私は、新規事業のサポートする一方で、同時に人員削減を行わねばならない立場となりました。
先程ご紹介した3番目のフレーム(バーゲルマン先生の「新規事業のプロセス・モデル」)を思い出してください。その中でいうと、私のポジションは左下にある「新規事業のマネジメント」にあたります。担当するCentrinoの事業戦略が、インテルの企業戦略へと進化できるよう日々奮闘しました。インテルのファイナンス組織が素晴らしいのは、毎月1回キャッシュセービングレビューという経費削減に関する報告があるのと同時に、戦略レビューという報告もあることです。担当している新規事業の戦略が企業戦略と合致しているか、もし問題があるならそれを誰がグリップしているのか、いつプロジェクトが成功する見込みなのか…そんなテンプレートが用意されており、各コントローラがそれに則ってCFOやシニアコントローラにレポートし、議論を深めていくのです。個人として事業に貢献することは勿論ですが、ファイナンス組織全体としても会社に貢献しようという姿勢が、こんなところにも明確に表れていると思います。
インテルでは、3ヵ月ごとにすべての予算を見直す体制がとられていました。各プロジェクトに関わる人員数(=人件費)も例外ではありません。会社の主軸となるような既存プロジェクトは別ですが、新規のプロジェクトはゼロベースから見直す方針で、このまま続けるか止めるかの決断の連続でした。現場のメンバーは皆、人生をかけて開発を行っています。ただ単に「削減してくれ」「再配分が必要だ」と言っても納得してはくれません。「私はマイクロプロセッサのデザインなどには素人。けれどもこの”あなたのプロジェクト”を”会社のプロジェクト”として成功させるために、あなたはファイナンスの人間である私にきちんと説明してくれないといけない。説明してくれれば、ちゃんと私が数字に直して事業計画を作成し、上級マネージャーやマネジメントへ説明します」こんな姿勢で彼らに臨みました。コントローラである私と現場の人間とでチームを作って毎月ミーティングを持ち、財務的なゴールは達成できそうか、品質に問題はないか、市場での反応はどうか、予定通り進んでいるかと確認しあい、プロジェクトを進めていました。毎月、プロジェクト毎にバランス・スコアカードを作成し、NPVをクリスタルボールというソフトを使用して分析することにより、どのプロジェクトを残し、どのプロジェクトを中止するかを3ヵ月毎の予算会議で決定しました。
どんなに頑張っても止めるべきプロジェクトは出てきます。そんな時には、やはり数字で話さなければなりません。「私が一人で作った数字で判断しているのではない。あなた方と一緒になって作った数字の結果が、こう出ているから」そう話し、理解を求めていきました。口はばったい言い方になりますが、DRAM事業では成功できなかった研究開発資源の適正配分に関する決定を、私の関わったノートブックPC用の半導体に関するケースでは、きちんとすることができたと思います。結果的には、近年のインテルの利益成長は、このノートブックPC用のマイクロプロセッサの成功によってもたらされています。この事業を通じての戦略形成と、研究資源の再配分。二つをいかに両立させていくか。難しく辛くもあった経験でしたが、同時に、良い経験ができたとも感じています。(私が翻訳に関わった『インテルの戦略』には、バーゲルマン先生の了承を得た上で、このケースの詳細を付録として掲載させていただいております。)
キャリアについて…学ぶことの重要性
ここまでは、CFOの仕事・役割について私なりに述べさせていただきました。最後に「キャリア」というものについての考えをお話したいと思います。私は、個人と組織、あるいは個人と社会はあくまで対等なものであると考えています。それ以上でも、それ以下でもなく。そして個人が人間として成長していくためには、仕事というのは絶対に大切にしなければいけない機会だと思っています。様々な仕事が世の中にはありますが、私は中でも「ファイナンス」のキャリアは素晴らしい、とぜひ言いたい。なぜなら「ファイナンス」の分野は、個人としての学習と、日々の業務を通じて得られる経験の両輪によって、自身のキャリアを積み上げていくことができるからです。
自分で勉強する、勉強し続けることは大変重要です。学習から得られるスキルセットと、仕事から得る経験の両方をしっかり持つべき。取った資格をひけらかすことには何の意味もありませんが、私は働きながら学べるものは何でも学ばなきゃ損だ! と考えていますので、日本トイザらスに入社してから「販売士」という資格にチャレンジしてきました。3級販売士、2級販売士を取得することができ、じつは先週、その上の1級も受験しています。
さて、学ぶことの大切さを強調しましたが、では何のために何を学ぶべきかというと、最終的にどんなキャリアを目標とするのか、何を人生の目標とするのかに関わってくると思います。昨年、竹中平蔵先生が上梓された『竹中式マトリクス勉強法』(註4)という本の中に、学びについて大変分かりやすく分類した図がありましたので、ご紹介します。
※<石橋氏 註> 竹中平蔵 『竹中式マトリクス勉強法』 幻冬舎(2008年)を参考とさせていただきました。
先生が書かれたこのマトリクスに、黄色の文字でいま私が学んでいる(学ぼうとしている)ことを当てはめてみました。私は無趣味な人間で「趣味勉強」の欄が空白なのはお恥ずかしいかぎりですが、経営者の本を読む、講演を聴く、あるいはチャンスがあれば直接お話するなど「人生勉強」の部分が特に重要なのではと個人的に感じています。
ロールモデルを見つけ続ける
この「人生勉強」の分野で、ぜひご紹介したい本があります。シリコンバレーでコンサルタントとして活躍されている梅田望夫さんが、著書『ウェブ時代をゆく- いかに働き、いかに学ぶか』(註5)の中で「ロールモデル思考法」について述べておられます。
「けものみち」を歩くのに、道標のない不安と付き合っていくために、灯台のようなものを都度自分でイメージすることがどうしても必要だったのである。
ロールモデル思考法とは、その答えを外界に求める。直感を信じるところから始まる。外界の膨大な情報に身をさらし、直感で「ロールモデル(お手本)」を選び続ける。
たった一人の人物をロールモデルとして選び盲信するのではなく、「ある人の生き方のある部分」「ある仕事に流れるこんな時間」「誰かの時間の使い方」「誰かの生活の場面」など、人生のありとあらゆる局面に関するたくさんの情報から、自分と波長のあうロールモデルを丁寧に収集するのである。
なぜ自分がその対象に惹かれたのかを考え続ける。それを繰り返していくと、たくさんのロールモデルを発見することが、すなわち自分を見つけることなのだとだんだんわかってくる。
~『ウェブ時代をゆく – いかに働き、いかに学ぶか』 からの抜粋~
キャリアには、既に敷かれている道路をいかに早く走るかを競う「高速道路を走るタイプ」と、高速道路から下り、自分を差別化するための要因を自ら見つけようとする「けものみちを歩くタイプ」があると書かれています。梅田氏は海外で個人のコンサルタントとして勝負をしている方ですから、けものみちを歩くタイプ。その困難な道を進む際に、ロールモデルの存在が支えになったと語っています。
これまで私にも多くのロールモデルとなってくれた人たちがあり、その時々で助けられてきました。前述したハロルド・ジェニーン氏やアンディ・グローブ氏、そしてクライスラーのCFOであったスティーブ・ミラー氏、ヤマハの社長やダイエー副社長を務めた河島博氏など。私が大変参考になった諸氏に関する書籍を挙げさせていただきますので、ぜひお時間がある際には、皆さんにもお読みいただければと思います。
【 私のロールモデル 】
■ハロルド・ジェニーン氏
『プロフェッショナル・マネジャー』 ハロルド・ジェニーン(著) 田中融二(翻訳)プレジデント社/2004年
『ジェニーン – ITT王国を築いた男 挑戦の経営』 ロバート・ショーンバーグ(著) 角間隆・古賀林幸(翻訳) 徳間書店/1987年
■アンディ・グローブ氏
『アンディ・グローブ』(上)(下) リチャード・S・テドロー(著) 有賀裕子(翻訳) ダイヤモンド社/2008年
■スティーブ・ミラー氏
『伝説の再建人』 スティーブ・ミラー(著) 桜田直美(翻訳) 幸福の科学出版/2008年
■河島博氏
『社長の椅子が泣いている』 加藤仁(著) 講談社/2006年
さて、本日の講演の最後として、私がインテルを去りディーアンドエムホールディングスへ移る決意をした際に、とても勇気づけられたジェニーンの言葉をご紹介して終わりたいと思います。
これで最後という晩まで、私は強い迷いと疑いにとらわれていた。それは戦後の私の職らしい職であり、自分の能力に挑戦する責任を伴った、楽しい良い働き場所だった。私は会社の駐車場から、まだ明かりがついている自分の部屋の窓を見上げながら、今からでも引き返すべきではなかろうかという気迷いを覚えた。
しかし、引き返すわけにはいかなかった。引き返して、本当にすっきりした気分になることはけっしてない。進もうと決めたら進むのだ。ひとつの仕事ができたからには、つぎのもっと大きな仕事だって、きっとうまくやれるはずだという信念をもって。もちろん、成功の保証はない。しかし、その後ずっと、自分自身に対して後ろめたい思いをせずに生きたければ、進んでリスクを冒さなくてはならない。
皆さん、長時間にわたり、ご清聴ありがとうございました。
(註4)『竹中式マトリクス勉強法』 竹中平蔵(著) 幻冬舎/2008年
(註5)『ウェブ時代をゆく- いかに働き、いかに学ぶか』 梅田望夫(著) 筑摩書房/2007年
第二部 参加者とのQ&Aセッション
◆日本トイザらス株式会社/代表取締役副社長 兼 最高財務責任者(CFO) 石橋 善一郎 氏
◆株式会社アクシアム/代表取締役・キャリアコンサルタント 渡邊光章
渡邊:石橋さん、ありがとうございました。時間がたっぷりあれば、まだまだお聴きしたいところですが、この後は会場の皆さんから直接質問をしていただき、石橋さんにご回答いただきたいと思います。今日のお話を伺い、石橋さんがロールモデルをしっかり持ち、また一方でキャリア上のリスクもしっかり取りつつ歩んでこられたことがよく分かりました。皆さんのとても良い参考になったと思います。
私たちのような仕事をしていると、財務会計系のキャリアの方にも数多くお会いするのですが、石橋さんのようにフランクな印象の方は珍しいタイプです。ご講演中は真剣にお話されていますので見られませんでしたが、お人柄というか、笑顔がじつにいい方です。きっとどんな質問にもざっくばらんにお答えいただけると思いますので、会場の皆さん、どしどし質問をお願いします。
Q.私は現在、所属する外資系企業から日系の合弁会社に出向しており、そこでインテル時代の石橋さん同様、R&D部門の管理を行っています。本日石橋さんは、現在の日系企業に足りないものと意図されて「数字で話す」ことを中心にコントローラについてお話になったと思うのですが、もう一方の面、つまり事業部長を説得していくような「ソフトスキル」をどのようにして身に付けられてきたのか、お教えいただければと思います?
石橋:おっしゃるとおり、どんなに数字を作っても、ソフトスキルがないと相手を説得することはできませんよね。コントローラの役割としては、「相手と一緒に決断する」ことがとても大事ですから、ソフトスキルは重要です。いかにコミュニケーションをするか、という点は経営コンサルタント的なスキルともいえます。何を、いつ、どのように話すか…コーポレート・ディレクション時代、短いながら私もコンサルタントとして働き、そのあたりのスキルは少し身に付いたかもしれません。しかしながら本質は「人として信頼できるか?」「相手の立場を本当に理解して話しているか?」など、人間の一番深いところ、最後の部分に関わる気がしています。
この部分は、教科書を読めば身に付く種類のものではないでしょう。まず、自分でやってみて、経験の中から学ぶしかない。経験の中から学ぶのだと自分を鼓舞しなければならない。チャレンジして仮に失敗したとしても、そこからきっと学んでいけるはずですから、恐れずやってみることが大切だと思います。
Q.インターネットバブルがはじけた時など、これまでも経済の低迷した時期がありましたが、現在の経済危機はいつ頃まで続くとお考えですか?
石橋:インターネットバブル後の低迷期、私はインテルで働いていてエレクトロニクス産業の中にいたのですが、不景気がいつ終わるのか分かっていませんでした。今回の経済危機に関しても、正直申し上げて分かりません。また、私は経済の専門家ではありませんので、軽々に何か申し上げることもできないと思っています。他の人より世の中の動きが早く分かるかといえば、私は分からないでしょう。ただ、何か変化のサインがあったときに、それを捉えていかに早くアクションをするかが、経営人材には必要なことであり、また経営責任だと考えています。
Q.プロジェクトの資源配分についてのお話がありましたが、バランス・スコアカードなりを作成して実際に数字が出てきた際、その数字をもとに再配分していくのか、あるいはスコープを変えて何らか改善することをまず行うのか、迷うところではあると思います。石橋さんは、そのような局面にあわれたとき、どのように判断・行動をされてきましたか?
石橋:先程もお話しましたインテルでのケースで申し上げると、一義的には、まずそのプロジェクト自体がどうなのかと検討します。数字だけでなく、色々な前提条件や見通しについても見ないといけません。プロジェクトチームのメンバーから話を聞き、当然様々な意見が出るでしょうが、最後にはそのチームのマネージャーとコントローラである私が、二人で話し合いながら判断を下します。そしてひとつ上の管理者である事業部のマネージャーへ提案を行う、という流れです。
もうひとつは、プロジェクト自体がどうかではなく、事業部門全体として状況はどうなのか、という視点での検討です。事業部門全体を統括するマネージャーとコントローラに、事業部門として何を優先的に行ってほしいと提案するか考えなければなりません。このように、ある程度の大きさの組織では、コントローラが考えるべきレベルが数段階に分かれて存在し、その段階に応じて判断の仕方があると思っています。
Q.長い間、インテルをはじめとする製造業で経験を積まれてきたわけですが、現在は小売業に転身されていますね。難しさなどは感じておられますか?
石橋:出身と異なる産業で働くことは、本当に大変です。小売業という新しい世界に飛び込んだいま、自分の人生をかけて頑張って勉強しないといけないと思っていますし、まさに勉強している最中です。ですが、私にとってそれらのことは、まったく苦になるものではありません。自分のキャリアや人生の幅を広げるチャンスであり、貴重な機会だと考えているからです。日本トイザらスに入って約15ヵ月、本当に小売業はエキサイティングだと実感していますし、良い選択だったと感じています。
Q.現在、一橋大学大学院に通われているとのこと。それはなぜですか?
石橋:いま私は、一橋大学大学院国際企業戦略研究科の夜間コースに在籍しています。2年の休学を含めてトータルの在籍期間は5年、この春から最後の6年目が始まります。週に2回通うべきところを1度しか行けないこともしばしばで、あまり良い生徒ではありませんが(笑)。なぜ大学院に通っているかというと、ひとつは、どんどん変化するファイナンスの世界について学びたいとの気持ちがあるから。もうひとつは、授業の一環として経営者の方々のお話を聴く機会が少なからずあるからです。本を読んで勉強できることも多いですが、やはり学校という場に通うことで、もっとも新しい情報に接し、その新しい情報をもらうことができます。
インテルを辞めてからの数年間、私が元気に前向きに新しいことへチャレンジできた力の源泉は、学校に通っていたことにあるかもしれません。一つの組織にどっぷりと埋もれて煮詰まってしまうのではなく、常に新しい情報に触れることで自分のマインドセットを一新し、会社組織以外の社会とも繋がっていることが良かったのだと思います。いま大学院に通えていることは、自分の人生の中で、とても幸せな出来事のひとつかなと感じています。
Q.現在、製造業にいるMBAホルダーです。この業界では、MBAで学ぶような内容より、例えはトヨタのカンバン方式といったことが根強い(重視される)傾向にあります。ジレンマを感じることがあるのですが、何かアドバイスをいただければと思います。
石橋:MBAで学べるのは、先程申し上げたバーゲルマン先生の戦略論がよい例ですが、ああいうものです。フレームワークを持っていること自体は、とても素晴らしい。しかしながら、MBAで学んだことを実際にすぐに仕事の中で使えるかというと、難しい現実があると思います。私は「なかなか使えないな」と思っていてもいいんじゃないか、そう思うところからスタートしても構わないんじゃないかと考えています。いかに他者(ビジネスパートナー)をインフルエンスできるかがファイナンスの人間にとっては重要ですから、その説得の手段(自分の武器)のひとつとしてMBAのスキル・知識を持っておく。そんなスタンスがいいのでは。ひとつでも使うことができたらラッキーだ、というぐらいに考えておいたほうが、ご自身も楽だと思います。
Q.事業別の予算管理の仕事をしていると、主な関心は期末のPLの着地などになってしまいがちです。バランスシートに関心を持たずとも日々の業務は動いていくのですが、キャリアアップをしてコーポレート・コントローラを目指す場合、いつ頃からバランスシートを意識し、いつ頃からバランスシートに携われるようにしておくべきなのでしょうか?
石橋:いま大学院に通っていることが、ほとんどご質問の答えになっているかもしれません。正直に申し上げて、インテルに務めていた最後の時期ごろまでには、スタンフォードで学んだコーポレート・ファイナンスの授業内容の大部分は、自分の中からすっかり蒸発してしまっていました。(だからといって、留学に意味がなかったという意図では勿論ありません。)
特に若い時には、授業で学んだことと直結する業務に携われる機会は少なく、すぐには実務で使えないことが多いでしょう。いま、二度目の大学院通いをしながらバランスシートの右側に関わる業務(M&Aを行う際に社債を出したり、シンジケートローンを組むなど)を行っていると、本当に中身がよく分かります。また授業の面白さ、価値を実感します。その意味では、ある一定のキャリアを経てから、コーポレート・ファイナンスを体系的に学ぶというのもいいのかもしれません。キャリアアップをしていって、CFOのすぐ下くらいの位置に来たときには、バランスシートについて左側も右側も理解しておかねば務まりませんから、それまでに自分自身の学習、あるいは仕事の経験を積んでおくべきでしょう。
Q.「コントローラはビジネスパートナーであるべき」とのお話がありましたが、自分の上司がコンプライアンスのみを重視し、数字を正確に計上することにばかり関心を持っているようなタイプの場合、そんな上司とは戦うべきなのでしょうか? それともビジネスパートナーのような考え方を持つ企業へ転職した方が良いのでしょうか?
石橋:とても本質的な質問ですね。まず、上司とは戦うべきだと私は思います。徹底的に戦って、いよいよダメだという段階になるまで戦い続けるべき。ただ、「ビジネスパートナー」の認識を持てていないのが上司だけならいいのですが、会社全体の問題の場合(トップマネジメントにそもそも認識がないなど)はやっかいです。そんな組織では、どんなに優秀なコントローラ/CFOでも成功することは難しいでしょう。そんな時には、思い切って転職をすればいいと思います。しかし、転職したとて次の会社が元の会社と違う体質であるという保証はありません。上司だけの問題なのか、会社全体の問題なのか…簡単に見えてくるものではありませんし、それを確かめる意味でも、まずは戦うべきだと思います。
参加者の声
フォーラム終了後、参加者の皆さんにアンケートをお書きいただきました。 その中から、フォーラムの感想を一部ご紹介いたします。
- 一般的な堅いCFOのイメージと違い、石橋様はかなり明るい方で、とてもお話が分かりやすくて良かったです。(20代・女性)
- コントローラの役目がとてもよく理解できました。(30代・男性)
- CFOという仕事、そこに辿りつくまでの道のりを、大変熱心に細かくお話くださったので勉強になりました。また、石橋さんという方の学習を続けられる姿を垣間見ることができ、刺激を受けました。(30代・男性)
- 具体的な事例が多く、view pointも広い「経営」という視点から、コントローラという職をとらえた講演であり、勉強になった。(30代・男性)
- 特定のテーマに絞ったセミナーだったので参加しやすく、興味深いお話を聞くことができました。(30代・男性)
- 「マネジメントとは」「コントローラとは」「キャリアとは」など、自分の中で曖昧だった言葉がとてもクリアになりました。また、キャリアにおけるリスクの判断が非常に難しいと思いました。(30代・男性)
- 自分がこれまでやってきたこと、そして、現在していることへの大きな応援講演となった気がします。紹介された書籍で未読のものは、ぜひ読んでみたいと思います。(30代・男性)
- 経営人材となることを考える際に、コントローラとして単なるサポーターに留まるのではなくオーナーシップを持ち、またビジネスパートナーとしてのマインド/取り組み方を持つことの重要性をお聴きして、新鮮であり発見でもありました。(30代・男性)
- 個人の経験を入れ込みながらのお話が興味深かったです。(30代・女性)
- 経営・財務と現場をつなぐ役割がコントローラであると理解できました(30代・女性)
- 石橋様の人柄が溢れる非常に熱いプレゼンテーションで、聴いていて引き込まれました。また内容も濃く、とても参考になりました。(30代・女性)
- インテルに関する実際的なエピソードがふんだんに盛り込まれており、現実味が感じられて良かったです。(30代・女性)
- インテルで使用されているマトリクスや戦略のアプローチを分かりやすく説明してくださって、とても勉強になりました。また、コントローラの仕事についても詳しく説明してくださったおかげで、コントローラからのキャリアパスについての理解も深まりました。(30代・女性)
- インテルでのコントローラとしての仕事を具体的にお話くださった部分が、特に興味深かった(40代・男性)
- 日本の経理財務部門の動き方へのアンチテーゼ、考え方(GMをサポートできないとCFOになれない等)を示してくださったのは大変良かったと思います。経営層を目指していく上でのマインドセットの一端を、示していただいたと思っています。(40代・男性)
- 体験談をまじえた講演だったので実に分かりやすかったし、キャリアの積み上げ方など非常に参考になった。(40代・男性)
- ロールモデルを複数作ってキャリアの参考にしていく考え方は、自分にも取り入れたいです。(40代・男性)
- ビジネスの経験とアカデミックな勉強を両立させるスタイルが大変刺激となりました。(40代・男性)
- 勉強家のお人柄に接しながら、大いに刺激を受けました。まだまだ自分は努力が足りないと痛感した次第です。インテルでのリアルなご経験も興味深く伺いました。日本企業とのマネジメントの対比なども伺えたら、なお良かったです。(40代・男性)
- ファイナンスに限らず事業戦略、企業戦略にもお話が及び、キャリア形成に加えて仕事上においても大変有意義な講演でした(40代・男性)
- 自分で学べることは学び、人から(学校等から)も学ぶ、仕事を通しても学ぶ。あらゆる機会をとらえて自分を高めることで自分の人生を豊かにし、社会に貢献していくという大事さを改めて考えさせられました。大変参考になりました。(40代・女性)
- メーカーの開発部門に務めていますが、財務をパートナーとして持つ重要性が非常に参考になった。(50代・男性)
- 具体的な実働の実例をまじえてのお話で説得力がありました。今後のキャリアに、明日から役立つ点もありました。(50代・男性)
アンケートにご協力いただき、ありがとうございました。 いただいたご意見・ご感想は、今後のイベント運営に活用させていただきます。 アクシアム一同
講演者/パネリスト 略歴
石橋 善一郎(いしばし ぜんいちろう)氏 プロフィール
渡邊 光章(わたなべ みつあき)プロフィール
お問い合わせ
本イベントについてのお問い合わせは、下記連絡先までお願いいたします。
株式会社アクシアム イベント事務局
Email:event@axiom.co.jp